昨年の暮から今年の正月にかけて三週間のインドとネパールの旅から帰って来た。帰国後色んな人々からインド旅行の感想を求められるのだが、なかなか適切な言葉や表現が見つからず、ただ一言、「すごいところです」としか答えることができなかった。旅行前にインドについての旅行記を二、三依頼されていたのだが、帰国後何やら失語症のようなものにかかってしまい何ひとつインドを言葉に置きかえることができず、ついに原稿の依頼を断ってしまった。
この旅行に出発する前に色んな人々が書いたインドの紀行記を読んだり写真を見ていったが、それらはインドの現実の前では一瞬見るも無残に褪色し、結局インドは来てみなければその真実は伝えることが無理なのではないだろうかと早々に結論を出してしまった。
オールドデリーの雑踏の中で[#「オールドデリーの雑踏の中で」はゴシック体]
先ず驚いたのは着いた翌日訪れたオールドデリーの雑踏だった。この喧噪《けんそう》と足の踏場もないような雑踏を何と表現していいのやらぼくには全くその術がわからなかった。ただぼくの目にはそれがパニック状態以外の何ものでもないように写った。突然車から降されたぼくは無数の視線を全身に受けた。インド人の深く窪んだ大きな人を射るような目がたまらなく恐しく見えた。ぼくの目の表情一つで今にもぼくは殺されるのではないだろうかと思い、つとめて心を平静に保とうと懸命に努力した。ぼくを取りまく無数の人間の他に、自動車、荷車、自転車、力車、牛車などが犇《ひし》めきあうように人間の中に雪崩《なだ》れ込んでくる。歩道と車道の区別がないため歩くのに慣れないぼくはやっと見つけたグリーンベルトづたいに歩いていった。グリーンベルトといっても芝生などあるわけがなく、そこは人や車の洪水を逃れた避難場所といった方がふさわしい。この避難場所には頭からすっぽり毛布を被った人間が端から端まで横臥し、中には生後間もない幼児まで混っていた。そして彼等は全く微動だにせず、大地の一部と化しどこにも人間であるという証拠さえないように見えた。
ぼくはこんな世界に足を踏入れたことを後悔しながら、何ひとつ視点の定まらない自分に不信と不安を抱きながら、今にも大声をあげて泣叫びたくなった。一瞬でもある個所に視線を止れば、ぼくはその対象から攻撃されそうな恐怖感に、常に視線をあちこちキョロキョロとまるで映画のカメラがパーンするように常に流し続けていた。しかも恐怖映画のクライマックスシーンを見る時のようにうんとピントをソフトホーカスに甘くしていた。とにかく何も見たくなかったのだ。しかしもしある個所に視線を固定したならば、それは大変な作業になってしまいそうだった。実際ぼくは何でもない道端にころがっている木片の木目に目が落ちた時だった。どうしたことか木目がぼくの目を捕えて離そうとしない。木目は見る見るその図形をはっきりさせ始め、徐々に拡大させながらぼくに向って近づいてくるように見えた。辺りの喧噪が一瞬静り返ったと思った瞬間ぼくは木目の中に飛込んでいくような幻覚に襲われた。
以前ぼくはアメリカで十分余りの短編映画を観たことがある。その映画は宇宙の果と思われる場所からカメラが移動し始め、われわれの知っているアンドロメダを通過し、銀河系から、さらにわれわれの太陽系に入り、いよいよ地球に近づき、地球の大気圏を突入してアメリカ大陸に大接近し、そしてカメラはついに五大湖のひとつを写し出し、さらにカメラはその湖のほとりに浮ぶ一艘のボートを捕え、そこに乗っている若い男女の女性の方に関心を持ち、ついにその女性の左腕に迫り、その腕に留っている一匹の蚊をクローズアップし、最後には蚊の吸った女性の血液の中の細胞の超クローズアップになったかと思うと、カメラは再び後ずさりしながらもと来た宇宙の彼方まで消えてゆく……という巨視と微視の世界を描いたものだったが、ぼくはまさに木目と対面しながらこれに似た体験をしているのだった。
車道から両側に商店が並んだ路地に入ったぼくは、多少気持が落着いてきたものの、歩いている後からどすんどすんと背を押すものが放置された白い大きな牛の鼻の頭だと気づいた時は本当にびっくりした。人間の次に、木目、そして今度は牛か、と思いながら、あてもなくとぼとぼと路地を抜けていった。路地を抜けた所は再び人間の洪水で、さっきの車道にもまして人間があふれていた。この埃まみれの裸足の群衆を何と呼んでいいのだろう。これこそまさに曼荼羅界の姿ではあるまいか。
群衆の頭越しに崩れかけた建物の壁面に巨大な産児制限の看板が上っている。この皮肉な取合せが簡単に笑えないような何とも空怖しいインドの現実をぼくはまざまざと見せられた。後から押されるようにしてこの人間の波の中を流れながら、ぼくは何だか悪い夢を見ているような気がしていた。
この時何気なく見た頭上に昼間の月が白く輝いていた。それはぼくにとってとりあえずこの場を逃れる避難場所でもあった。月まで届く梯子でもあれば本当にこの場を逃れたいと思った。しかしこの月が東京で見れるものと同じ月であるということに非常に安心し、やっぱりここも地球の一部分なんだなあとつくづく思った。このオールドデリーの雑踏は一口でいってしまえば味けないかも知れないが、ここには時間はなく永遠とか無限とかいうものがあり、過去、現在、未来、そして生死が同居した、われわれのこの世界[#「この世界」に傍点]の根源というようなものがあるのではなかろうか。
エローラとアジャンタの石窟寺院[#「エローラとアジャンタの石窟寺院」はゴシック体]
ボンベイから飛行機で一時間たらずのところにオーランガバードというところがあり、さらに車で三時間位のところにエローラとアジャンタがある。ここは丘陵の岩塊を刻んで造られた石窟寺院で、ひとたびこの中に足を踏入れるとその瞬間から、この気の遠くなるような作業を想像して、宇宙の彼方は一体どうなっているのだろうと考える時、ある種の眩暈に襲われるが、まことにこれに似た感覚がぼくを捕えて離さなかった。
巨大な岩塊の内部に何階建もの建造物を想定して、それを外部から刻みながら、その実体を明瞭にしていく作業である。実体というのはすでにわれわれの中に存在しているわけだから。
それにしてもこの無限の創造力とエネルギーの背景にもし宗教的なものが存在していなければ、たとえ権力によったとしても、到底これだけのものを創ることは不可能だろう。これはまさに魂の王国の神殿である。
この石窟寺院を見ていると、ぼくは人間が人間を超越した偉大な存在、つまり神になることさえ不可能ではないということをつくづく感じた。この偉業を果すためには人間が人間だけに頼っていたなら到底不可能だっただろう。人間が未知の巨きな力の援助なくしてアジャンタもエローラも存在しなかったのではなかろうか。ぼくはつくづくこれらの石窟寺院の内部で人間と神が一体となる時が絶対あるのだということを強烈に信じさせられた。
石窟寺院の内部に立つ時、ぼくは自分自身の肉体の内部にいるような気持がしてとても安心した気分になれた。ぼくを取囲んだ周囲の天井や壁を見ていると、いつしかそれらは宇宙の天井や壁に一変し、ぼく自身が宇宙的存在であることを知らされるようだった。ぼくの内部宇宙は外部宇宙にも繋がり、つまりは外も内もひとつであるという実感がぼくを強く支配するようだった。
アジャンタの石窟寺院にある一部がどうしたことか突然工事が中止されたらしく、寺院の内部の柱や床や仏像が未完成のまま放置されているところがあった。まるで今しがた休憩時間で作業員が外出しているようにしか見えないのだが、この未完の寺院内に入ると、不思議な時間意識を体験する。ストップモーションされたこの永遠の時間はぼくに無限の想像を喚起させてくれる。一体何がこの作業を中止させたのだろう。この未完の空間には当時のアカシヤ(空間に記憶された想念)が憑依《ひようい》したように無言の歴史的事実を現代に伝えているはずだ。
この四次元空間に記録された事実をもしぼくがこの次元の振動率と一致させれば、アカシヤの記録が解読され一挙に古代の謎が解けるかも知れない、という欲求が湧いて来たが、どうやらぼくにはそんな芸当はどだい無理なことに気づいた。だから今になってはただただ凍結された時間と空間を前にしてあれこれ当時の模様を想像するに過ぎない。しかしこの静止した時間に耳を傾ける時遠い過去がまるでぼく自身の記憶として蘇ってくるような気がし、ぼく自身の生命が永遠の存在であることを教えてくれるようだ。ぼくの遠い過去生においてぼくがインドにあったのではなかっただろうか。またこの石窟の作業に参加していなかったという証拠はどこにもない。なぜぼくがこのように考えるかというと、この石窟をあまりにも懐しく感じるからである。この石窟に限らずインドの土地そのものがまるで母の匂のようにぼくを恍惚とさせてくれるのだ。こうした追体験はおそらくぼくの因果《カルマ》に導かれて再びこの地に帰って来たとしか考えられないのである。
インドの生と死[#「インドの生と死」はゴシック体]
デリーから少し南にあるピンク色の都市として有名なジャイプールへ車で向う途中、思いもよらず轢死体に遭遇してしまった。道路を横切るようにして細長く横たわった男の死体は枯木のように痩衰えていた。体に巻付いた布切もその男の死体と同じように道路にへばりついていた。どうやら轢逃げらしい。そして一条のそれは血と呼ぶにはあまりにも白に近いピンク色の血が道路を完全に横切っていた。そしてその死体の周りには小さな小石がまるでストーンサークルのようにきれいに並べられ、他の車が再び轢かないための目印の役目を果していた。またこの死体の傍にはその連れと思われる一人の男が頭からすっぽり毛布を被り、無表情のまましゃがみ込んで、通過ぎる車を目で追っていた。
この道路は畑の真ん中を走る国道でこの辺りには一軒も家が見当らなかった。そればかりか誰一人として車を止めてこの哀れな男に手を貸そうとする者はいないようだ。ぼくを乗せたインド人の運転する車もその例にもれず、一瞥しただけでスピードさえ落そうともしなかった。
ぼくは思わず声を上げて同行のインド人に驚いた表情で言葉を求めた。しかし彼はこの交通事故には全く無関心らしく、これから向うジャイプールの街の説明に余念がなかった。
その後ベナレスではあちこちでむき出しの死体を担いだ葬式の行列を見たり、ガンジス河へ集る死体や、間もなく息を引取る断末魔を見ているうちに、ぼくもいつしか冷淡になってしまったのか、さほどこんな光景にも驚きもしなくなってしまった。勿論インド人にとってはこのような風景はごく日常的らしく死体が横たわる横で目もくれず平気な顔をして野菜や果物を売っていた。ここには生者と死者の境界も区別もなく、生きながらにして死に、死にながらにして生きているという輪廻転生の思想が強烈に生きている証がされているように思えてならなかった。
インドの田舎道を車で走るとわかるのは、歩行者が車をなかなか避けないことである。まるで真正面から車に向って歩いて来るようにしか思えなかったり、車の前を間一髪で横切って見たりする。その度にぼくは何度も恐怖しなければならなかった。こうした情景は客観的に見て彼等が車をからかっているという見方ではなく、宗教上自殺を禁じられている関係、自ら死は選べないが事故死に見せかけるような死の機会を作っているのではないかとさえ勘ぐりたくなるほど、彼等はぼくの目に命を軽く見ているようにしか見えてならなかった。こんな見方は恐らく日本人であるぼくの偏見に違いないが、大変奇異に感じたのである。
一方こうして彼等の恐怖心のない生き方こそ本来の人生であり、われわれ文明人が日夜死の恐怖に怯えながら生活していることの方こそ不自然で、唯物的なのである。彼等は永遠の生を信じ、人間が霊的存在であることを知っているために、自分の死にも他人の死にも興味を示さないのではないだろうか。
こうして数々のインドの死に触れながらぼくはひとつひとつぼくを取りまいている拘《こだわ》りが払落されていくような感覚がして体が少しずつ軽くなっていくのをおぼえた。因果《カルマ》の法則と輪廻《サムサーラ》の法則が少しずつぼくのものになっていく実感にぼくは嬉しくてたまらなかった。今生《こんじよう》だけの生を考えているために人は物質的存在になり、その結果物質的快楽を求めようとするのだろう。人間が物質的存在だけではなく霊的存在であることを知れば、おのずから因果が如何に重大で輪廻転生が事実であるかがわかってくる。インドの村では星占術師によって作製された天宮図によって知らされた前世の因果に導かれて淡々と人生を愉しく生きていくという。もはやここには何のこだわりもないのだろう。
人間は数限りない輪廻転生を繰返しながら、最終的に覚者になっていく。われわれは今その途上にあるわけだが、この最終ゴールの人生に到達するまで果してどの位の異なった人生を経験しなければならないか想像だにできない。ところがこうしたインドの拘りのない人々にとっては、もしや今生の人生が肉体を持った最後の人生ではないだろうか、とぼくはふと考えてみた。こうして現象界の最後の人生を終え肉体を脱捨てた後は霊体としてより高い次元に入り、人類の指導に当る資格を得るようになるのだろう。ネールが不可触賤民を神の子と呼んだのもこんなところに根拠があったのではなかろうか。
インドの人々と自然[#「インドの人々と自然」はゴシック体]
以前カリフォルニアのディズニーランドのテラス風のレストランで食事をした時、人々の足もとに沢山の雀がやって来て床に落ちたパン屑などをあさっている風景に大いに驚いたことがあった。ここの雀には誰もいたずらをしないらしく、一向に雀は人間を恐れない。こんな風景はアメリカでもディズニーランドだけで他の場所には見られない風景だ。ここにやってくる人々は一様に童心に帰るせいかここでは生きものや植物を愛しているのだろう。
ところがインドではこのような風景は街の中でも見ることができた。デリーからタジマハール宮殿のあるアグラに向う途中朝食を摂るためにドライブインに立寄った。ドライブインといっても田舎道にある掘立小屋のようなもので床几のような手製のテーブルが外に並んでいるだけの非常にお粗末なものだ。こんな街頭の食事が慣れてしまえばしごく口に合ってうまいのである。このドライブインで食事をしているのはほとんどが長距離運送のトラックの運転手たちで、われわれがここに来た時、先着のアメリカ人が数人いたが、あまりの汚さに、遠まきにこの風景を写真に撮っただけでついに引上げてしまった。
泥でもこねるようにして作ったチャパティに、野菜カレーをつけて食うこの味はまさにインドの味で全くこたえられない。また食後独特の作り方でガラスのコップで飲む熱い紅茶の香りがインドの土の匂にあって何ともいえない心の落着きを取りもどしてくれる。
ふと気がつくと足下に何羽もの雀が集っており、中にはぼくが腰かけている台の上まで上っているのもいる。そのうちどこからともなく鴉もやってきて何の警戒もなく平気で台の上に舞降りて来たのにはさすが驚いた。雀や鴉だけではない豚や牛までやってくるではないか。ぼくはまるでディズニーの動物の出る漫画映画のようなシーンの中で人間と自然の交流が最も理想的な形で展開しているのを見て、何ともいえぬ悦びを感じた。そしてぼくはこんな風景が平和というんだろうなあと胸の内から湧起る幸福感にしばらく恍惚としていた。この人間と動物の共存にぼくは真の愛と神を感じた。ぼくはとんでもないこの汚らしいドライブインで心ゆくまでインドの根源を満喫していた。
またインドの夜明は素晴しい。このことについてはベナレスの沐浴のところでふれるとして、ここでは夜明に劣らず、インドの神秘的な夕暮の状況について書くことにする。インドの夕暮の素晴しさは天下一品である。色々なところでインドの夕暮に立合った。アジャンタの石窟寺院からの帰途、デカン高原を走る田舎道を挾んで西に日没、東に満月。西の地平線は黄金の巨大な太陽がまるで日本の海軍旗のような光芒を放って西の空を真紅に染めている。一方東の空はこれまた西の空と対照的に目も鮮かなスカイブルーの中に白銀色に光輝した満月が鎮座しており、岩肌を露出した丘陵は西日を受けて紅色に染まっている。
ぼくはこんな壮絶な夕暮を過去に一度だって見たことがなかった。この大自然のドラマの演出に神が関わっていないとは、もしこの光景を目の辺りにした者なら誰一人として否定することはできなくなるのではなかろうか。この超越的な光景をぼくは言葉で表現することができないもどかしさを感じる。この大自然の偉大な演出の前ではぼくの存在など無に等しく、神の側から見ればただの肉片にしか映らないかも知れない。
しかし、ぼくはこの瞬間ぼく自身が大自然の一部分であるという感覚を太陽と月、そしてこの地球から溢れるばかりの精霊《プラーナー》が体内に流入るのを感応した。この何もかも飲込んでしまいそうな黄金の落日風景の中でぼくは眩むような宇宙感覚に酔いしれていた。
ベナレスの沐浴[#「ベナレスの沐浴」はゴシック体]
ベナレスに来た以上、朝のガンジス河岸の沐浴風景だけは見なければ、という案内役のインド人サニーさんの意見にしたがいわれわれ一行五人は四時に起床してホテルの前からタクシーを拾った。
辺りはまだ夜の闇と濃い霧に覆れていた。タクシーの中から見る外の風景はまるで照明の消えた芝居のセットが怪物のように黒く立並んでいるだけで、街燈さえなく、何とも心もとない感じだった。河岸の近くの大きな交差点でわれわれはタクシーを降りた。数人の男が焚火を囲んで暖を取っていたが、一体何の用で彼等がこんな時間に起きているのかぼくにはわからなかった。ベナレスの一月は日本のこの頃に比較すればずっと暖いが、やはり早朝というだけで体を堅く閉じていなければ、とても寒く感じられた。
タクシーを降りて初めてわかったのだが、真っ暗な街路にはちょっと驚くほどの沢山の人々が荷物のように横たわっていた。この中には婦人も幼い子供も混っていた。また人々の中に混って数頭の牛も岩のように横たわっていた。人と牛がこうして星の天井の下で一つになっている風景はちょっとユーモラスでほのぼのとした一見平和な情景に見えるが、これらの人々は住処のない最も下層階級の不可触賤民と呼ばれる人々の群なのである。ぼくの足下で乳幼児が絹を裂くような泣声をあげた。その傍の母親が、あわてて大声で泣声を静止しているのだが、この親子の声は何か宿命的な悲運な響きをもってぼくの胸に刺って来た。ぼくはあわてて歩を早め、この声の主から遠ざかった。
ガンジス河の沐浴の場所は、度々写真で見ていた階段のあるガートである。まだ辺りは暗く、わずかな裸電球が部分だけを照しており、どこからか大きなマイクでしわがれ声の男の真言《マントラ》を唱える声がうるさくがなりたてている。ぼくは少々このマイクの真言《マントラ》には驚いたが、今から展開しようとしている日出と沐浴の劇的な光景を演出するには充分な効果はあった。薄闇の中を目を凝らして見ると黒い人影が一つ、二つ階段を下りて墨のように黒く見える河の中に身を沈めていくのが、水の音とともにわかった。ぼくは思わず身震いして首のマフラーを目の下まで持上げた。川面から吹く夜風は冷く、ぼくは川に突出した大きな石の台の上で小さく足踏をして体に熱を送続けていた。日出の五時過ぎまではまだしばらくあるが、少しずつ、辺りの闇が、黒から青に変化しながら、事物の存在を次第に明確にし始めたようである。
写真家の篠山紀信君は日出の決定的瞬間を撮るために慌てて三脚を設定し始めた。ぼくは急に落着きがなくなり、ガンジス河の日出と如何ように対決すればいいものかと、まるで運命的な出逢いの瞬間に立合った時のような気分に襲れ始めた。写真の現像液の中から画像が少しずつ浮出してくるように辺りの事物のデッサンがしっかりしてくると、ガンジス河岸に並んでいくつもの貧相な巡礼宿が姿を現し、またガートの上方には寺院が濃紺の空に塔や屋根の一部をつきさしているように、寺院の上部と空は一つの色に溶込んでおり、そのさらに上方に一つの強烈に輝く金の星があった。
ガンジスの対岸は濃い霧に覆れたままで、灰色のスクリーンを眺めているようなものだった。いつの間にかわれわれの立っている石台の周辺にも外人の観光客が現れ、カメラを取出し日出の瞬間を待ちかまえている。また巡礼たちの数は次第にその数を増し、河面に傾斜した石段をつたって冷い河の中に入っていく。老若男女を問わず、ある法式にのっとって次々と沐浴礼拝が始まる。五時を少し廻ったというのにまだ太陽は姿を現さない。すでに辺りは青から白に変り、ガートのある河岸の全貌をわれわれの前に現した。しかし対岸は依然として霧に包まれたまま、謎である。
突然足もとの石台の下から数羽の鳥が音をたてて飛びたった。またそれが合図のように後方の高い寺院から奇妙な動物の鳴声が聞えた。見上げると寺院の屋根を沢山の猿が飛びまわっていた。再び目をガンジスの上に立込める霧の中に返した時、そこには無数の小さな鳥が霧の奥から湧出るように、こちらに向ってその数を増やしていった。急に河面は色んな鳥で賑い出した。これらの鳥の出現は明らかに日出を予知した行動だった。日出はいきなり半円の形で現れた。ローズ色でおわんをふせたような半円の太陽は不思議に光を伴っていない。何だか巨大なプリンが丸い容器から逆さにこぼれたような形で、想像していたよりずっと上方にあった。ぼくはこの突然の日出に少々あっけにとられたまましばらく事のなりゆきを眺めていた。篠山君のカメラは急速に作動を開始した模様である。巨大なローズ色のプリンは徐々にオレンジ色を増し太陽らしくなってきた。ガートやそこにいる人々の色彩が次第に黄金色を帯び、太陽の真下の河面は輝くような黄金の絨毯をぼくの足もとまで敷いてきた。もしぼくがこの黄金の波の絨毯の上を歩いて行けば、このままあの真紅の太陽まで到達するのではないかと思われた。
敬虔なヒンズーの信者でなくとも、思わず合掌したくなるようなガンジスの壮絶な日出が今われわれの前で演出されようとしている。ただこのままつっ立っていることがぼくにとって何だか神に背いているような気がしたので、ぼくは皆なに知れないようにコートの中でそっと合掌し、少し恥しかったが、「人類が永遠に平和でありますように……」と神願した。