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なぜぼくはここにいるのか52

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  夢について ここ数年来ぼくは夢日記をつけている。朝、目が覚めて、記憶にある夢を枕もとのノートにすばやく書きとめている
(单词翻译:双击或拖选)
   夢について
 
 ここ数年来ぼくは夢日記をつけている。朝、目が覚めて、記憶にある夢を枕もとのノートにすばやく書きとめている。時には夜中に夢を見たショックで目が覚めた時など、朦朧とした意識の中で、ノートを取らなければならないのだが、日夜、こんなことのせいで不眠症になってしまっているぼくにとっては、このノートを取る時間ほど腹立たしいことはない。
 目を閉じれば、ほとんど夢を見ているようだ。だから、朝目が覚めた時など、あちこちと旅行をしてきた時のように、夢の体験が、まるで現実の体験のように心に影を残し、その感動や興奮にしばし、茫然としていることがある。時には恐しい夢を見ることがあるが、昼間の生活に比べれば夢の生活の方が遥かに超現実的で、スペクタクルズで、芸術的だ。
 夢の世界ほど想像力に富んだ世界はちょっとどこにも見当らないのではないだろうか。この世界では誰でも超一流の芸術家になれる資格が与えられている。ということは、われわれの潜在意識がいかに顕在意識より秀れているかということの証拠である。夢の中では、空でも飛べるし、英語もペラペラしゃべりまくれるし、美人とセックスもできるし、そうかと思うと殺されてしまうことさえある。
 ところが、折角こんなに素晴しい体験をしながらも、夢は夢として再び潜在意識の奥へ置忘れてしまうために、ちょっとも顕在意識の中に再生して活用しないのである。古代人は夢を生活の中での重要な位置において、夢を媒介に未来を予知したり、自分自身を知ることに役立てた。つまり潜在意識と顕在意識が一体になって、より多くのことを知ったのだ。
 潜在意識は生命の宝庫である。一生かかっても図書館の本を読みつくすことはできない。われわれの潜在意識の中には図書館の蔵書など比較にならない程多くの知識や経験が埋蔵されているのだが、このことに目を向けようとすることは非合理なことのようにされ、まだまだ一般的な人々の場での研究はされていないような気がするが、われわれの日常生活の大部分は実は、知らず知らず、こうした潜在意識から発する直感力によって生かされているはずである。
 過去のわずかな経験や知識、そしてマスメディアの情報だけにたよっている限り、その人はとんでもない過ちを犯してしまうことがある。潜在意識というものは、他人や、あるいは動物、植物、地球上の全てのものと、その深い部分で通じ合っているはずだ。だから、われわれが、時たまふと想像を絶する考えが浮ぶ時があるが、このようなものは、自分の考えではなく、遠くにいる、または極論すればもうすでにこの世にない人々が生きていた時の想念から発する他人の考えだったりすることがあるのではないだろうか? つまり、この宇宙の中には無数の考えが漂っており、それが何かの拍子に意識の中に飛込んでくるのである。
 だから夢の中での体験だって他人の体験が映される場合があるのではないだろうか。次のたとえは的確かどうかわからないが、ぼくは今朝火事の夢を見て目が覚め、その夢の話をしている真っ最中、近所に火事が起った。ところがぼくだけでなく、三年生になる長女までが、火事の夢を見ていたのだ。これは単なる偶然の一致としてすましてしまえば、それっきりだろう。
 火事が起ろうとしているその瞬間の空気、あるいは磁気の変化が、空中を伝わって潜在意識に信号を送ってくるということは考えられないだろうか。われわれはあまりにも自分自身にこだわり過ぎており、いつの間にか最も重要なものを失おうとしているのかも知れない。
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