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黒田如水27

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:鷹一「お。こなたの人か」 秀吉はまじめに紹介《ひきあ》わせを述べた。「竹中半兵衛《はんべえ》重治《しげはる》。ご承知でも
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 鷹一
 
「お。こなたの人か」
 秀吉はまじめに紹介《ひきあ》わせを述べた。
「——竹中半兵衛《はんべえ》重治《しげはる》。ご承知でもあろうが、美濃岩村の菩提山《ぼだいさん》の城主の子じゃ。いまはこの筑前の軍学の師でもあり、家中のひとりでもあるが、信長卿《きよう》より羽柴家へ付け置かるるという特殊な関係になっておるので、いつ召し戻されるやも知れぬと、秀吉も内心常に恟々《きようきよう》としておる厄介な家人だ。それだけに謂《い》わば筑前の無二の股肱《ここう》。いや官兵衛、御辺《ごへん》とならば、きっと肝胆《かんたん》相照らすものがあろうぞ。刎頸《ふんけい》を誓ったがよい」
 秀吉のことばが終ると、その半兵衛重治は初めて静かに向き直って、初対面のあいさつをした。その音声《おんじよう》は秀吉とちがって雪の夜を囁く叢竹の如く沈重であり、言語はいやしくもむだを交《ま》じえない。そして一礼のうちにもその為人《ひととなり》の自《おのずか》ら仄《ほの》かに酌《く》めるような床《ゆか》しさと知性の光があった。
「えっ、あなたが竹中殿で。——おくれました。それがしは」
 と、官兵衛もあわてて礼をむくいたが、秀吉と話している分には、さほどでもない自己の卑下《ひげ》が、この半兵衛に対しては、なぜかはっきり抱かずにいられなかった。やはり自分は田舎侍であったという正直な負《ひ》け目《め》である。しかし相手がそれを見下《みくだ》しているような倨傲《きよごう》でないことは十分にわかっていた。
 それにしても彼は、羽柴家の家中に、これほどな人物が甘んじて仕えていることが、何かあり得ない事を見たような気がした。美濃《みの》菩提山《ぼだいさん》城の子竹中重治といっては、世上の軍学者でその名を知らない者はないほど夙《つと》に聞えている大才である。ある意味で織田家中の羽柴秀吉という一将の名よりも、有名なことでは半兵衛重治のほうが聞えているかもわからない。
 若年、多くは帝都にいたと聞いている。それもたいがい大徳寺に参禅《さんぜん》していたもので、ひとたび国許から合戦の通知をうけるや否、馬に乗って一鞭《いちべん》戦場へ駆け、また一戦終ると、禅の床《ゆか》に姿が見られたとは、都あたりの語り草にもなっている。
 その戦場に在る日は、つぶ漆《うるし》のあらあらとした鎧《よろい》に、虎御前《とらごぜ》の太刀《た ち》を横たえ、
 コノ若殿、魁《サキガケ》ニ御在《オワ》セバ、軍中、何トナク重キヲナシ、卒伍《ソツゴ》ノ端々ニマデ心ヲ強メケル——
 とは家中のみでなく一般の定評だった。軍学の蘊蓄《うんちく》は当代屈指のひとりと数えられ、戦うや果断、守るや森厳《しんげん》、度量は江海《こうかい》のごとく、その用兵の神謀は、孔明、楠の再来とまで高く評価している武辺《ぶへん》でもある。
 秀吉のごときはその渇仰者《かつごうしや》の随一人であった。彼がまだ洲股《すのまた》の城にいて、ようやく一個の城砦《じようさい》と狭い領土とをはじめて持ったとき、早くもこの若き偉材《いざい》を味方に迎えんとして、半兵衛重治の隠棲《いんせい》していた栗原山の草庵へ、何十度となく、出廬《しゆつろ》を促すために通《かよ》ったことは、世間にも余りに知れわたっている話である。
 その事を、むかし漢土において、劉玄徳《りゆうげんとく》が孔明の廬を叩いた三顧の礼になぞらえて、
(羽柴筑前の熱心は、ついに臥龍《がりよう》半兵衛《はんべえ》を、自己の陣営へひき込んだ)
 という者もあった。
 いずれにせよ、この戦国において、この事ほど武辺の話題になったことはない。ただ惜しむらくは、竹中半兵衛ほどな人物に、なぜか天は逞《たくま》しい肉体を与えなかった。弱冠《じやつかん》から多病の質である。それだけが惜しまれてもいたし、秀吉もまた、破れ易い名器を座右《ざゆう》に置いているように、いつも一方ならぬ気遣《きづか》いをしているようであった。
 中国の僻地《へきち》にいるかなしさには、黒田官兵衛も疾《と》く噂は聞いていたが、およそのことを想像して、忘れるともなく忘れていた。——今、あらゆる予備的な世評をいちどに思い出して、厳然《げんぜん》と、その存在と人物の重さに、襟を正さしめられたのは、まさに今夜その人と間近《まぢか》に対《むか》い合《あ》ったときからであった。
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