二
この室に臨《のぞ》むまでの官兵衛はすこし固くなった。これは当然なことともいえる。何といっても彼は地方の小大名に過ぎない者の一被官《ひかん》であり、相手は織田信長幕下でも一城を持つ人である。身分に於いては格段《かくだん》な差だ。彼としては同室するさえ破格《はかく》な優遇《ゆうぐう》といっていい。
——が官兵衛はなお、秀吉の下風《かふう》について事を成そうなどという卑屈は毛ほども考えていないのである。彼も一城の主なら自分も一個の武門であり、彼が中央武人中の錚々《そうそう》たるものならば、自分も一指をもって中国の風雲を西へも東へもうごかして見せる自信はある者だと、口にはいわないが襟度《きんど》にそれを示していた。
「やあ、そうですか。それ程まで、前から、この田舎者をご存知とは、意外でもあり、何か大へん欣《うれ》しい気もします。そのおことばに相槌《あいづち》を打つわけではありませんが、実はそれがしも国許におるうちから羽柴藤吉郎なるお名前には、常々心をひかれていました。従って、巷《ちまた》の噂までを、細心にこの耳袋へ入れて、織田ご家中には、あなた様以外、そう心にとめていたお方もござりませぬ」
「それはふしぎなことだ。見ぬうちからお互いに恋いこがれておったとは。——世上の毀誉褒貶《きよほうへん》はどうせ善い噂はなく、悪いことのほうが多いだろうに、この筑前如きへ、それほどお心寄せとはかたじけない」
「——が、正直のところ、お目にかかるまでは、もそっと威容堂々たるご体躯かと想像しておりましたが、それのみが少し案外な気がいたしました」
「何せい、幼時は、水呑百姓の家に、辛くも生い育ったので、生来このとおり体がかぼそい。しかし、打ち見るところ、御辺もあまり偉丈夫《いじようふ》とは見えんな。お幾歳《いくつ》にならるる」
「ちょうどでござる」
「三十歳よな。それではわしの方がずんと兄だ。九ツも上だから」
初対面の彼にたいして、秀吉は敢て「兄」ということばを用いた。官兵衛は心中にその過分な辞をすこし疑ったが、秀吉はさらにそれを不当とは思っていないらしく、ふと、横の座を顧《かえり》みて、
「……すると、お許《もと》と官兵衛とは、ちょうど二つちがいになるな。官兵衛が一ばん年下で、次にお許、その上がかくいう筑前か。思えばわしもいつかもう若者の組には入らなくなって来つるわ。さりとて、まだまだ、大人の組にも入りきれぬしのう」
と自嘲《じちよう》をもらして、また大いに笑った。
そこにいた一個の人物も、ことばなく黙然と微笑した。初めにちょっと会釈《えしやく》しただけで、ついまだ一語も発せずに秀吉のわきにひたと坐っている一武人である。面《おもて》は白く筋肉は痩《や》せて、たとえば松籟《しようらい》に翼をやすめている鷹《たか》の如く澄んだ眸《ひとみ》をそなえている。官兵衛はさっきからひそかに気になっていたので、
「こちらは、誰方《どなた》でござるか。ご家中の方でいらせられるか」
と、今をその機《しお》と、秀吉へ向って訊ねてみた。