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黒田如水40

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:質子一 年をこえた天正五年、信長の朱印《しゆいん》は、小寺家へ対して正式に、質子《ちし》を求めて来た。官兵衛に対しては、
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 質子
 
 年をこえた天正五年、信長の朱印《しゆいん》は、小寺家へ対して正式に、質子《ちし》を求めて来た。官兵衛に対しては、秀吉から私信で、あらかじめその事ある旨を伝えて来ていたので、当然としていたが、主家の小寺政職《まさもと》は、
「どうしたらよいか」
 と、この程度の問題に当っても、困惑《こんわく》を面にあらわして衆に諮《はか》るのであった。
 もちろん一族と重臣のうちに、今なお織田家との盟契《めいけい》をよろこばない空気があるにもよるが、もう一つの理由には、小寺家の嫡子《ちやくし》氏職《うじもと》が、病弱な上に、不肖《ふしよう》の子で、世間に出せない者だ——という点にも、親心の苦痛があった。
「ご心配に及びませぬ」
 評議《ひようぎ》の席で官兵衛は、いつもながらの口調で広言した。
「氏職様のお弱いことは、かねて羽柴殿のお耳へも入れた事がある。病人たりと差上げよとは信長公もよも仰せられますまい。——ご嫡子に代えてそれがしの一子松千代《まつちよ》、まだ当年十歳ですが、あれを人質に送りましょう。松千代を以て、ご用に代えますれば、決してこの儀に就いては、ご心痛にはあたりません」
 彼の広言は、常に、空言ではなかった。わが子を以て主家の子に代えるという事は、少なからず居合わせた人々を感動させた。いつも反対の立場に立つ宿老たちまで、
「官兵衛どののご心中は察し入るが、そうしていただければ」
 と、一致していった。およそ評議を開いて、こんなに快く即決を見たのは、この御着《ごちやく》城のうちでは今日が初めてであったと、官兵衛は苦笑を覚えた。
 だが、官兵衛もさる者である。唯々《いい》としてすぐには質子も出さなかった。以来、秀吉との間に幾度か書簡《しよかん》の往復を見た。もちろん即刻ご西下の言質をとる為である。秀吉からの手紙はいつも情誼《じようぎ》と誠意をこめて、
(——自分もそれは急いでおる。君前への進言にも絶えず努め、為に、信長公の御意もようやく決して来られたかに窺《うかが》われる。この際に、質子を送られればなお効を大きくしよう。ただ案じられるのは、この際にも、しきりと敵側の流言離間《りかん》が行われているらしい。足下の磐石《ばんじやく》の如きご心底こそわれらの最も恃《たの》むところである)
 と、述べ、またある時の一通には、
其方儀は、われらの弟小一郎(羽柴秀長)同然に、心易く存じ候あひだ、何事をば皆々申すとも、其方と直談もて、是非御さばきある可く候
 とまで書いてあった。
(弟だ。其方は、おれの弟小一郎も同然に思っている)
 秀吉の官兵衛に対する態度は、いつかそうなっていた。官兵衛としては、もういかなる苦境に立とうが、秀吉にだけは反《そむ》けない気もちになっていた。
 
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