二
「都が見られる。安土が見られる」
そういって、十歳の松千代が、旅の支度にはしゃぐのを見ると、彼の若い母も、祖父の宗円も涙を制しきれなかった。
いよいよ、この一粒だねを、質子《ちし》に上《のぼ》すと、極《き》まったのは、同年の九月だった。
「お母様、行って来ます。お祖父《じ い》様、行って参ります」
少年の眸《ひとみ》には、ゆくてを楽しむ心しかない。実に〓々《きき》たるものである。わらじを穿《は》く、刀を帯びる、笠を持つ。そうした旅装も少年の夢を凜々《りり》しく駆りたてる。涙ながら見送る幼少からの乳母や家臣や——また母なる人の姿にさえもう一顧も与えず先ばかり急ぐのだった。
城門から馬に乗った。その可憐《かれん》なすがたが、なおさら、見送りの涙をしぼらせた。およそ遠くへ質子として送られた質子で無事に帰された質子が幾人あるであろうかと。
安土まで供をして行く家来は、わずか四、五名に過ぎなかった。目については、途中、敵の手に横奪《よこど》りされる惧《おそ》れがある。が、飾磨《しかま》の浜で船支度して待っている面々のうちには、なお屈強が揃っているし、兵庫の浦まで行けば、そこには、父の官兵衛が待っているはずだった。
官兵衛としては、ひとりの子を送ることよりも、織田軍数万と、ひとりの大将を播州へ迎えることに、智嚢《ちのう》をしぼった。そしてその実現を見る日は、今を措いてはないと信じていた。
陸路を、単騎いそいで、荒木村重に会い、近畿の形勢をたずね、また中国進攻の場合の備えに何かと打合わせなどして、彼は、兵庫の浦の漁村にかくれて、わが子の着くのを待っていた。
それは九月の末だった。