三
その日、主人政職とも、直談をとげ、一族老臣たちとも、膝くみで事情を語りあい、官兵衛は、心ひそかに、
(今のうちなら荒木とも毛利の誘惑とも引離せる。帰って来てよかった)
と、いささか眉をひらいて、当夜は城外にある自分の屋敷へ戻って寝《やす》んだ。
彼はあくまで虚心坦懐《きよしんたんかい》をむねとしてこれへ帰って来たのである。何の策も持つまい。怒りも現わすまい。ただ主家小寺家のためと、武門の信義をもって一貫しよう。有《あ》るは唯、誠の一字、それをもって、主人を説き一族老臣も説き伏せよう。もし成らざれば成らざる上のこと——という謙虚《けんきよ》な気持でぶつかったのである。
その誠が通ったか、あくる朝、江田善兵衛や村井河内守などが遊びに来て、何かと、忌憚《きたん》のない話をして帰ったが、午近《ひるちか》い頃、あらためて、政職の使いとして、益田孫右衛門が彼を迎えに来た。
「きのうのおことばやら、御辺のいつもながらのご忠誠に、今朝は殿も非常に慚愧《ざんき》しておらるるご容子です。もとよりこのたびの離反は、殿おひとりの罪ではなく、われら補佐《ほさ》の者の信念が、やはり貴公のお留守に弱められていたためでもありますが……ともかく、何か、殿にも折入って、貴公にお話し入れいたしたいと仰せられています。それがしとともに、ご同道くださるまいか」
「参ろう。そうお気づいて下されば、官兵衛として、こんな欣《うれ》しいことはない」
すぐ身支度して、官兵衛は城へ上がった。そして主人政職《まさもと》とただ二人きりで会った。そのとき政職はこう告白した。
「知っての通り、摂津の荒木村重《むらしげ》と予の家とは、先代からの知縁《ちえん》。予の代になっても、切るに切られぬ縁つながりでもある。——その村重が、何事か、まだ事情はつぶさにせぬが、信長公を離れて、反旗をあげ、また三木城の別所一族を通じ毛利家を介し、この御着も呼応して、在中国の秀吉にあたれ——と割っていえば、そのように申し入れて来たわけじゃが——昨日、そちの切なる諫《いさ》めを聞けば、政職として、それに軽々しく応じたことは、実に、面目《めんぼく》ないことだ。辱《は》じ入る次第じゃ。このとおりそちに詫びる」
「勿体ないおことば。臣下の官兵衛にたいし、そのような懺悔《ざんげ》はご無用にあそばしませ。ただそれにお眼がひらいて下されば、官兵衛として、ここに死すとも恨みはございません」
「——就いては、折入って、そちに難儀な一事を頼みたいが、何と果してくれるか」
「——と、仰っしゃるのは」
「荒木村重に会ってもらいたい。ひとつ村重に会って、わしの苦衷《くちゆう》を語り、かつはまた、そちの信念を以て、いま信長公に弓を引くなどということが、いかに無謀《むぼう》の挙《きよ》に過ぎないか、また毛利家の強大な形容のみを見て、それに依存することの到底、頼り少ない事情にあるかなども、其方自身の口から、得心《とくしん》のまいるように、よく話してやって欲しいのじゃが」
ふと官兵衛は、自己の情熱と信念をこの主人の一言に、つよく奮《ふる》い起された。
これは大きな意義のある使命とすぐ思ったのである。もし今、荒木村重をも説《と》いて、その無謀を思い止まらせば、これは中国攻略の大局へ大きな寄与《きよ》をすることになる。——そう考えたので、即座に、
「よろこんで、ご使命を奉じましょう。そして、村重どのが、謀反《むほん》を思い止まったときは」
「もちろんこの政職も、断じて、織田家を離れるようなことはせぬ」
「万一、不才のため、この官兵衛の力でも、村重どのを、思い直させることができなかった場合は何となされますか」
「旧縁深き荒木村重ではあるが、当方の情誼《じようぎ》は尽したものとして、先に送った承諾を反古《ほご》となしてもよい」
「かたじけのう存じます。そのおことばを聞くうえは、官兵衛は、百万の兵をつれて赴くような強味を感じまする。では、摂津方面の形勢、頓《とみ》に険悪と聞きますれば、きょうにもお別れして」
「これへわしも書面をしたためておいた。書中、同様な意を尽してある。村重に面会の折、直々《じきじき》、手渡してくれい」
政職は、一書をさずけた。