二
ゆうべ、姫路まで急いで来たが、今朝の官兵衛は、寛々《かんかん》たるものだ。
ゆらりゆらり、名馬書写山を歩ませて、御着《ごちやく》まで一里余の道を——折ふしの晩秋の山野を眺めながら——、
「ありがたいな、田の稔《みの》りも、今年は良かったとみえる。紅葉も見頃。百姓たちの顔色も明るいぞ」
道連れの男と、こんなことを、大声で話したりしていた。
その連れの男というのは、姫路から後になり先になりしていた旅の六部である。いわば路傍の人間だが、官兵衛はわけ隔《へだ》てなく快活に途中の徒然《つれづれ》の話し相手にしていた。
「どうも失礼をいたしました。てまえはあの山の石尊様へ詣りますので、ではこれで……」
と、御着の城がすぐ彼方に見え出した頃、六部はふいに挨拶して、横道へ別れ去った。
官兵衛は見送って苦笑した。それも御着の密偵《みつてい》に違いないからである。こういう秋の蠅のような男をどれほど道中で見かけて来たか知れない。
やがて彼は城門へ駒をつないだ。
そして、官兵衛ただ今帰る、と表の侍へ申し入れ、誰へも彼へも、やあやあと、例の快活な調子で礼を返しながら、すぐ政職のいる本丸の居室へ通ろうとすると、侍たちが慌《あわ》ただしく遮《さえぎ》って、
「殿には、先頃からちと、ご不快でとじ籠っておられますゆえ、少々、お控えでお待ち下さい」
と、いう。
官兵衛は押し返すように、
「いや、ご病中とあれば、なおさらすぐ見舞い申したい」
と、いったが、侍たちは強《た》って、
「いや、決して、お通しすなという仰せではございません。しばらく待たせておけとの御意ですから」
と、そこの一室へ褥《しとね》を設け、茶を供え菓子など出して、主命をたてに、いやおうなく控えさせてしまった。
一方、政職《まさもと》の居室では、いまなお一族と老臣が鳩首《きゆうしゆ》して密談をこらしていた。
「殺すに限る。今こそ彼は、殺されに来たようなものじゃ。彼は彼で、秀吉と諮《はか》って、何か深謀を抱いてこれへ来たにちがいないが、人数も連れず、唯一人でこれへ帰って来たこそ、正に、絶好な機会というもの。今にして、お家の禍《わざわ》いの根たる彼を刺し殺してしまわなければ、悔いを百年にのこしましょうぞ」
と——これは一族の小川三河守もいい、益田孫右衛門、蔵光正利なども力説するところだったが、小寺政職の一、二の老臣は、
「ここで彼の息の根を止めてしまえば、大きな邪魔者はまず取り除かれ、毛利家へ対しても、甚だこちらの態度を明示するに役立つが……ただ彼を御着城のうちで刺殺したことが知れると……たちまち姫路の宗円と、近郷の黒田党が、いちどにこれへ攻め寄せて来よう。もちろんこちらにも、毛利家のご援助もあり、三木城の別所長治《べつしよながはる》から救援を待つこともできるが、それまでのうちに、この城の支えがつかなかったら、如何《いかん》ともなし難い。……あまりに官兵衛の参りようが迅《はや》かったので、今からでは、到底、どことの連絡も、合図も間に合うはずもないからの」
と、一にも二にも石橋を叩いて渡る主義の異論をとって、ここの相談も、容易に一致を見出し得ないのであった。
「では、どうしたらよいか」
「どうしたらと申しても……さてこう急では?」
と、策もなく、悠々、思案顔を見くらべているところへ、待ち遠しく思ったか、それとも故意にふいを衝《つ》いたのか、案内も待たず、官兵衛はのっそりここへ入って来て、人々のうしろから突然、
「やあ」
と、大きく声をかけた。
宿老、一族、また誰よりも、小寺政職が非常にあわてた。狼狽《ろうばい》の色が、どの額《ひたい》にもあまりに濃く見えた。
——が、官兵衛は、家老として、この城に勤めていた日と、何らの変りもなく、
「ただ今、戻りました。——殿にも、いつもいつもお恙《つつが》なく。また方々《かたがた》にも、官兵衛の留守中、何くれとなきご忠勤。お礼を申しあげる。……いや誰方《どなた》とも、まことに久しぶりで、何やら十年もお会いしなかったようなここちがする」
と、あたかも人々の困惑ぶりを慰めるように、こだわりなき態度を示して、以前の親しみを呼びかえすことに努めた。