三
どこよりも低いせいか、地下室にも似たここの一郭《いつかく》は黒煙も余り立ちこめて来ない。その代りに焔は極めて強烈に櫓の中層から下へむかって逆落《さかおと》しに燃えひろがろうとしている。
官兵衛は獄の中に坐っていた。焔は荒い格子組《こうしぐみ》のすぐ外まで来ているし、黒い火屑は大床《おおゆか》を吹きこがされて自分の膝のそばにも溜った。けれど、如何ともする術《すべ》もない。彼は北側のいちばん隅の壁に背をつけて、むなしく坐っていた。
彼方の火焔とは反対に、ここの壁は石垣のように冷たかった。滴々と清水《しみず》が滲《にじ》み出《だ》している。そして一年中、陽のあたったこともない壁である。
余りに湿度が多いため、武器庫として不適当と認められて、久しく空《あ》いていたあとが官兵衛の獄に利用されたものであろう。官兵衛の満身はそのために、見るかげもない湿疹《しつしん》を病んでいる。——彼は起《た》とうにも容易に起てないほど衰弱していた。
「ついに来る日が来たか。身はこのまま焼け死ぬも、定まれる運命ぜひもない。この際、荒木村重が末路を眺め得たのはむしろ望外なことだ。胸中の鬱懐《うつかい》も焼き放つような心地がするぞ。……あの馬鹿者が、どんなに慌《あわ》てて」
彼は苦笑を禁じ得なかった。自分の死はとうに観念していたものであるだけに、あらためて死生の境にもがき出して来る生理的なものすら起らなかった。ただ火の塵が膝を焦《こ》がすと熱いので折々払っていた。そして手で払ういとまもなくこの獄中の四壁天井すべてが焔となるのをただ待っていた。
彼としては、この城には、なお守将の荒木村重がいるものとのみ思っていたし、たとえ織田勢が攻め入っても自分を救《たす》けに来るわけもないと考えていたのである。ただこの際の彼にも、微かながら一縷《いちる》の望《のぞ》みを生に懸ける心理がどこかにあったとすれば、それはつい百日ほど前にここの高窓の藤蔓を外から揺りうごかしてしきりに自分を呼んだことのあるあの女性の声である。
「……あのとき以来ふっと聞かなくなった声だったが?」
官兵衛はいままたそれを思い出しているふうだった。そして窓の上を仰ぐと、その藤の葉もはや落ちかけて、真っ赤な秋風に焼かれようとしていた。