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黒田如水113

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:稲の穂波二 揺られ揺られ官兵衛は眠ったり眼をさましたりしていた。その間二度まで付き添いの医者が熱い煎薬《せんやく》をのま
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稲の穂波
 
 揺られ揺られ官兵衛は眠ったり眼をさましたりしていた。その間二度まで付き添いの医者が熱い煎薬《せんやく》をのませてくれた。
 薬すら美味《う ま》かった。しかし舌に苦味甘味を知り出すと、肉体の苦痛も同時におぼえて来た。とりわけ左の足の関節《かんせつ》が甚だきつい。熱をもって来たものと見えた。眼をふせて胸越しに覗くと、自分の脚とは思えないほど太いものが繃帯《ほうたい》されて立て膝に置かれている。それを動かすには巨木の根っこを持ち上げるほどな力が要《い》りそうに思われる。
「もう十町ほどで古池田のご本陣です」
 そういわれてから官兵衛は初めて信長のすがたを脳裡《のうり》に描いた。彼は、信長が今日まで、自分をどう考えていたか、また自分のうけた奇禍《きか》をどう観ていたかを、よく知っていた。
 これは、外部から彼に聞かせた者はないはずであったが、ほかの事情は知り得なくても、それだけは審《つまび》らかに聞いていた。
(——御辺《ごへん》は信長に義を立てているらしいが、信長は御辺の節義《せつぎ》をそんなに買っていない。むしろ権謀術策《けんぼうじゆつさく》に富んだ食えぬ男とにらんでいたろう。その証拠《しようこ》には、御辺がこの伊丹に入ったまま帰らぬと聞くや、信長の感情はどう発したと思う。裏切者、策士《さくし》、忘恩の徒と、口を極めて罵ったではないか。烈火《れつか》のごとく怒って直ちに中国に在る秀吉に命じ、姫路に住む御辺の父宗円を攻めつぶせ、一族を絶てと、いいつけているのでもわかるではないか)
 これは彼が投獄されると間もなく、獄の外まで来ては、荒木村重がのべつ聞かせていたことばであった。
 村重はこれを以て、官兵衛の胸に信長をうらむ心を植えつけ、そしてこの者を自分の陣営中に重器として用いようと努めたものであることはいうまでもない。
 その程度の人間の肚が見抜けない官兵衛ではないから、笑而《わらつて》不答《こたえず》——としていたことはもちろんであったが、ただいかに彼でも、信長が自分を誤解《ごかい》して一たんの嚇怒《かくど》に何らの反省も加えず、秀吉に使者を立て、また竹中半兵衛に命じて、質子《ちし》としてさし出してあるわが子の松千代を斬らせ、その首を安土に見たという事実を聞かされたときは、親心として、また余りに自分を知ってくれない浅見《せんけん》のひと心に対して、総身の毛がそそけ立つような情けなさに打たれたものであった。
(——岐阜以来、幾たびか謁《えつ》し、この官兵衛も、胸打ち割って、あれほどに心底を申しあげ、且《か》つは、主家小寺家のあらゆる困難な事情を排し、父宗円を始め、一家中のものの運命をも賭し、併せては、嫡子の松千代までを、お求めあるまま質子としてさしあげてあるものを。……なお今日まで士道《しどう》も恥も知らぬ人間とこの官兵衛を思召してか。さまで偽り多き武士と見られていたことは何よりの無念である、心外である)
 獄中《ごくちゆう》、彼は小袖の袂を噛みやぶったこともある。血は煮え肉はうずき、あわれもののふを知らぬ大将よと、信長の無眼無情をうらみつめた幾夜もあった。
 けれどそれに憤悶《ふんもん》してわれを失う彼でなかったことが倖せであった。彼がひとつの死生観をつかむには、それ以前にまずこれらの怨恨《えんこん》や憤怒《ふんぬ》はおよそ心の雑草に過ぎないものと自ら嘲《わら》うくらいな気もちで抜き捨てなければ、到底、達し得ない境地なのであった。
 ——そうした心中の賊に打《う》ち剋《か》つには、あの闇々冷々《あんあんれいれい》たる獄中はまことに天与の道場であった。
(あそこなればこそ、それが出来た——)
 ずっと後になっては、官兵衛自身ですら、時折に、その頃のことを思い、以て、とかくわがまま凡慮《ぼんりよ》にとらわれ易い平時の身のいましめとしていたという事である。
 さて。それはともかく。
 官兵衛はいまやその信長の前へこの姿のまま運ばれてゆく途中にある。担架を担う小者の歩み、前後に従う諸士の足のその一歩一歩に、信長の顔は、彼の戸板の枕頭に近づきつつあるのであった。
 ——もしこれが、この機会が。
 かの荒木村重からいろいろな事実を聞かされていた当時だったら、所詮、彼はこの姿を信長の前へ曝《さら》すには、その無念に忍び得なかったにちがいない。
 奮然《ふんぜん》、西を指して、
(中国へやれ)
 と、叫んだに相違ない。生涯二度と、信長の顔は見たくもないと唾《つば》して誓ったかも知れないのである。
 けれど今は——明け初めた今朝は——そういう心もわいて来ない。仄《ほの》かに秋の朝となった地上を戸板の上から眺めて、
「ああ、ことしも秋の稔《みの》りはよいな」
 と、路傍《ろぼう》の稲田の熟《う》れた垂《た》り穂《ほ》にうれしさを覚え、朝の陽にきらめく五穀の露をながめては天地の恩の広大《こうだい》に打たれ、心がいっぱいになるのだった。
 今、彼のあたまには、一信長のすがたも、一本の稲の垂り穂も、そう違って見えなかった。べつに、もっともっと偉大なものがこの天地にはあることがはっきりしていた。そして信長の冒《おか》した過誤《かご》へ感情をうごかすには、自分もまた稲の一と穂に過ぎない一臣の気であることがあまりにも分り過ぎていた。
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