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黒田如水115

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:陣門快晴二 今朝、勝軍《かちいくさ》のどよめきの中に、前線の負傷者とも、敵方の病人とも思われないが、戸板のうえに横臥《お
(单词翻译:双击或拖选)
 陣門快晴
 
 今朝、勝軍《かちいくさ》のどよめきの中に、前線の負傷者とも、敵方の病人とも思われないが、戸板のうえに横臥《おうが》したまま、滝川の家臣や医師などに護られてこの本営へ入って来たので、途上にそれを見かけた多くの将士は、
「何事であろう。何者であろう」
 と、みな眼をそばだてて噂していたものだった。そのうちに誰からともなく、昨年の十月、伊丹城へ入ったまま、生死不明となっていた姫路の黒田官兵衛であると伝えられると、
「えっ。あの人がか?」
 と、その変り果てた姿にもみな驚き合い、同時にまた、
「それではまだ生きていたものとみえる」
 と、遭難《そうなん》当時の一と頃、世上に喧《かまびす》しく聞えた種々な取沙汰を今更のように思い出して、その流説《るせつ》にまどわされて、きょうまで官兵衛に抱いていた誤った認識をそれぞれ心のうちで急に是正《ぜせい》していた。
 とりわけ人々の胸にすぐ考え出されていたことは、官兵衛の嫡子松千代の問題だった。質子《ちし》として織田家に託されていたその子は、去年、官兵衛に対する信長の疑いと一時の怒りから斬首を命じられ、その首は、竹中重治の手によって、安土へ示されたということは、ついこの春さき頃、かくれもなく世上に語られたことで、誰の記憶《きおく》にもまだ生々《なまなま》しいこととして残っている。
「かく身の証《あか》しは立っても、その子のすでに首斬られていることを知ったら、あの父の心はどんなだろう。……ここまでは一途《いちず》に信義《しんぎ》を守って来た士も、かえってこの先において織田家を恨むことになりはしないだろうか」
 官兵衛の信義と、その生還《せいかん》の意外に打たれた人々は、ひいてはまた、こういう危険さも杞憂《きゆう》しあっていた。そしてやがて営門のうちへ入って行った戸板の上の人と信長との今朝の会見を想像して、異様な緊張《きんちよう》を加えていた。
 そこを入った戸板の担架と護衛の人々は、一時病人の戸板を、ふところの広い袖門の蔭におろして、信長の命を待っていた。
「おっ。……これが、官兵衛どのか」
 前田又四郎は戸板のうえの人を見ると、そこまで駆けて来た足をすくめ、それきり次のことばもなくはらはらと落涙してしまった。
 やがて、そっと戸板の枕元へ膝を折ると、さしのぞいて、
「おわかりか。前田又四郎でござる。利家《としいえ》でござる。——官兵衛どの、おわかりか」
 と、努めて悲痛《ひつう》なものを自分の声にあらわすまいとするもののようにいった。
 ともすれば昏々《こんこん》と眼をふさぎたくなるような容子の官兵衛であったが、又四郎の声と知ると、上眼を吊って、にことうなずいた。その顔を見ると、又四郎の瞼は更に熱くなった。彼は官兵衛のぼうぼうたる髯やこけ落ちた頬に悲しむのではなく、その心中に哭《な》かされるのであった。武門の信義を守りとおすことの並々ならぬものを同じ武門の将として骨髄《こつずい》から思い知るのだった。
「目出度い。……官兵衛どの、すぐお目通りなされるかの」
 又四郎はこれしか訊かなかった。官兵衛はふたたび頷いて、
「よしなに……」と、微かに答えて、また、「この穢《きたな》いすがたでは、君前甚だ畏れ多いが、如何ともし難い」
 なかば独言《ひとりごと》するようにいった。
「なんの」——と慰めて又四郎は起った。そして滝川一益の臣から一益の言伝てを聞き取り、また母里《もり》太兵衛や栗山善助などの姫路の直臣から、主人を救出するまでの経緯《いきさつ》をつぶさに聞いて、ふかい感銘《かんめい》とともに、
「さてさて、ご苦心のほど、察し入る。しかしそれだけに、今日の各のよろこびも、いかばかりかと存ぜられる。……ともあれそっと官兵衛どのをこちらへお連れください。ご案内する」
 前田は先に立って、庭上の幕舎《ばくしや》のひとつへ導き入れた。本来は家の内へ担《にな》い上げてやりたいのであるが、黒田官兵衛なるものは今なお信長から宥《ゆる》されていない離反《りはん》の臣とされている身分であった。その質子まで殺されたほどの憎しみをうけたままでいる臣である。それが誤解《ごかい》とわかりきった今なるにせよ、信長自身の口からゆるされるまでは、傷々《いたいた》しくとも戸板のまま地上に寝かしておくしかなかった。
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