一
弱々《よわよわ》と見える痩身白皙《そうしんはくせき》の、武者らしからぬ武者振りの一将と。
年のころ十三、四。身なりに合った具足《ぐそく》を着、丸っこい眼と笑靨《えくぼ》を持った年少の可憐《かれん》なる武者と。
——今。ここの陣門で駒を降りたのはこの二人だった。徒歩《か ち》の郎党三、四名連れているので、乗り捨てた馬はすぐ供の手へ渡し、痩せたる武者が年少の武者を伴って、
「信長公にお目通りいたしたい」
と、門衛の部将を通じて申し入れ、
「自分は、病気療養のため、中国の陣よりお暇《いとま》を賜わって、久しく郷里菩提山《ぼだいさん》の城や南禅寺に籠って、薬餌《やくじ》に親しんでいた竹中重治でござる。近来健康もやや取戻したように思わるるゆえ、ふたたび中国の戦場へ罷《まか》り下る途中——ご挨拶をかねて、伊丹落城のお祝いをも述べとう存じて立寄り申してござる」
と、つけ加えた。部将が営中へ取次ぐと、氏家左京亮《うじいえさきようのすけ》と湯浅甚助が出て来た。いずれも半兵衛重治とは相識の仲であるから、
「や。どうして今日これへは?」
と、その折も折なる訪れに意外な眼をみはって迎えた。そして、甚助が、
「お伴《つ》れになっておられるのは、どなたのお子か。貴所にご子息はないように承知していたが」
と、怪訝《いぶか》ると、重治は、
「お見知り置かれよ。これこそそれがしが、信長様よりお預かり申しておいた黒田殿の嫡子松千代でござる。かく健《すこ》やかに大きく成られた姿を、父なる官兵衛にも見せたや、ご主君のお目にもかけたやと存じ、昨夜、南禅寺において、伊丹城に総がかりの火の手が揚がる——と承《うけたまわ》るやすぐ駒を打ってこれまで急ぎ参った次第です」
と、事もなげにいうのであった。
けれど聞く方の愕《おどろ》きは沙汰のほかだった。なぜならば松千代はすでに世に亡《な》い者ということが誰もの通念になっていたからである。——だからこの意外をそのまま、信長の前へ取次ぐには、多大な不安とためらいを抱かずにいられなかった。故になお、一応も二応も、事情を訊ねてからと思ったが、早くも、竹中が来たということは信長の耳へ聞えたものと見えて、小姓の森於蘭《もりおらん》が、
「湯浅殿、氏家殿。ともあれ竹中殿を、こなたへ誘《いざな》い参れとのおことばです。——何か、主君にはしきりとお急ぎの体《てい》ですから、すぐ此方へお召連れなさい」
と、彼方の幕舎から駆けて来て催促《さいそく》した。
「さらば——」と、湯浅と氏家とは、於蘭のあとに従い、また半兵衛重治と松千代を案内して畏《おそ》る畏るそこの幕のうちへ入った。
実に、時を約しておいたように、そこには官兵衛孝高《よしたか》が、まだ戸板の上に、身を支えられて坐っていたのである。——重治と松千代のすがたを一目見たときの官兵衛のひとみが、どんなものであったかは、これを拙《つたな》い筆で描くよりは、世の親たる人たちの想像にまかせたほうが、はるかにその真実を感得《かんとく》することができよう。