二
官兵衛は信長の直臣ではないが、半兵衛重治は織田家の直臣格である。
彼は、その資格に倣《なら》って、静かに信長へ対坐し、病のために、久しく戦陣の務めを怠っていたことを詫び、且《かつ》、伊丹の戦捷《せんしよう》と、信長の健康を祝して、そのあいだの声色は、何ら非常時らしい急務をもっている風《ふう》もなかった。傍らに控えさせている少年松千代のことについても、主君から訊かれるまで、何も自分からそれに触れないのであった。
信長は堪りかねて、ついにこう訊いた。
「重治。——お汝《こと》のそばに召しつれている和子は誰だ」
すると半兵衛の静かな面《おもて》は初めて小石を落された池水のように微笑をたたえ、
「はやお見忘れ遊ばしましたか。これは去《い》ぬる年、安土のお城において、わが君から私へ、確と養いおけと、お預けを命ぜられました黒田家の質子《ちし》、すなわち松千代でござりますが」
「最前《さいぜん》から、その松千代にちがいないが? ——とは見ているのだが——。はて、その松千代がいかにしてなお世にあるのか。松千代の首を斬れと、信長はたしかに命じたはずだった。あれは去年の暮であったと思うが」
「仰せの通りでありまする」
「そして、お汝《こと》は、予の命を奉じて、間もなく安土へ首を斬って出した。あれはどうしたことか」
「元より偽首《にせくび》でありました」
「なに。偽首であったと」
「はい。後のお咎めを覚悟のうえで、畏れながらわが君を欺《あざむ》き奉りました」
「ううむ……そうだったか」
唸《うめ》きをもらして、信長はもういちど、松千代のすがたを見直しているのだった。半兵衛重治と信長との対照は、あたかも火と水のようである。——如何《いかが》あらんと、事の成行きを、息つまらせて見ていた側臣たちの眼は、期せずして、信長の顔いろとその唇《くち》もとにあつめられていた。
信長の面には、人々が案じていたような怒色《どしよく》は出て来なかった。かえって、非常に安心したような落着きのなかに蔽《おお》いきれない歓びすらあふれていた。そしてこの人の眸《ひとみ》にはかつて見られたことのない素直な自己への反省がありありと眼のうちに往来していた。
「……さようか。そうだったのか」
彼はなおこれだけしか物いうすべを知らなかった。一面、親の官兵衛の方を見れば、彼の憮然《ぶぜん》として語なき容子《ようす》はなおさら無理もなく思われた。——さすがの官兵衛たりとも、死せるはずの子がはからずも健やかに成長して、眼前にあるのを見ては、世のつねの煩悩《ぼんのう》な親心とべつな者となっていることは出来なかった。涙と水洟を咽《むせ》ばせて、怺《こら》えようとすればするほど、戸板の上に俯伏《うつぷ》している身は、よけいに〓掻《も が》き苦しむのだった。
「……この上は、何とぞ私のご処罰を」
半兵衛重治は、やがて悪《わる》びれず信長へ訴えた。
「仰せを歪《ま》げて、自分一存の計らいを取りおきましたことは罪万死に値《あたい》いたしまする。法は紊《みだ》すべからずです。今日参上いたしましたのも、まったくは唯、そのご処分を仰ぐためのほかございませぬ。どうか、死をお命じ下しおかれますように」
すると、やにわに官兵衛が、動かぬ身を、無自覚にもがかせて、戸板の上から哭《な》くが如く叫ぶが如くいった。
「かたじけない。半兵衛どの。ご友情の段は、官兵衛、謝することばもない。死すとも、ご温情はわすれません。……が御辺の大事なおいのちを、せがれ如きの一命に代ゆることはできない」
きっと、松千代を見て、親の手がさしまねいた。
「於松《おまつ》。こちらへ来い」
「はい」
松千代は、父の側へ寄った。変り果てた父のすがたを見ては、この少年も哭《な》かないでいられなかった。両手を顔にあてておいおいと泣き出した。
「さむらいの子が見ぐるしい」
官兵衛は叱るが如く宥《なだ》めて、
「そなたに取って、親に次いでの大恩人はたれだ」
「竹中半兵衛様です」
「左様であろうが。さすれば聞き分けもつこう。そなたをお助け下された大恩人を死なしてよいものか。半兵衛殿がご主君のおとがめによって死を賜《たま》わらぬ前に、そなたは帯《お》びておるその短刀をもって自ら腹を切って死ね。父が見ていてやろう。父の子だぞ。皆様に嗤《わら》われぬように死ぬのだぞ」
「はい」
少年はそのつぶらな眼をいっぱいにみはって答えた。泣くまいとする力が顔に漲《みなぎ》った。そして短刀を取り腹帯を解き始めた。
と。そのとき信長は、いきなり歩いて来て、この少年の肩を二つ三つ叩いた。そして親の官兵衛へも、竹中半兵衛の方へも、等分にことばを頒《わ》けるように、
「和子。もうよい、もうよいのだ。死ぬには及ばん。何事も信長の過ちから起ったことだ。まず信長の過ちをゆるせ。——むかし、漢土《かんど》にもこういう話があった」
ふたたび床几《しようぎ》へもどりながら、彼は左右の扈従《こじゆう》へも眼をくれて語った。
「魏《ぎ》の曹操《そうそう》のことだが。——かつて曹操が麦畝《ばくほ》を行軍中、百姓を憐れんで、麦を害すものは斬らんと、法令を出した。ところが曹操自身の馬が飛んで麦田《ばくでん》を荒らしたのだ。すると曹操は、自ら法を出して、自ら之を犯す、何を以て、兵を帥《ひ》きいんやと、自分の髪を切って地に置いたという。……重治、これはいつか其方から聞いた話だったな」
「左様でありましたか」
「信長も髪を切って地に置かねばならん。——予は漢土の風習に倣《なら》うものではないが、気持としては、それほど自《みずか》らを責めておる。重治は直ちに中国へ行って、秀吉を扶《たす》けよ。官兵衛は、これから近い有馬の湯へ行って、当分、療養《りようよう》いたすがよい」
信長はまた、
「於松。これへ来い」
と床几の下へ呼びよせて、
「よい子だの」と、その頭《つむり》をなでながら、
「あれほどな父を持ち、これほどな恩師を持ち、そちはよほど倖《しあわ》せ者だ。さだめし行末よい武勲《ぶくん》を持つだろう。重治に従《つ》いて中国へ征《ゆ》け。信長がその初陣《ういじん》を祝うてとらせる」
と、自身の脇差《わきざし》を取って、松千代の両手に授けた。