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平の将門04

时间: 2018-11-20    进入日语论坛
核心提示:菅公の三番息子 厩は、牧のほかにも、本屋の曲輪を中心として、小さいのが、諸所にあった。いつでも、戦に応じられるように、鞍
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 菅公の三番息子
 
 
 厩は、牧のほかにも、本屋の曲輪を中心として、小さいのが、諸所にあった。いつでも、戦に応じられるように、鞍《くら》を備え、弓倉や矛倉の近くにあり、それらを柵の厩とよんでいた。
 この栗毛は、迅《はや》いぞ、矢風や矛の光にも、たじろいだ事はない。名馬の相があるぞ、仔種を絶やすな——と、父の良持が、十年の余も愛乗していた牝馬の背に、小次郎は、なんの感傷もなく乗った。
 鞍には、旅の食糧《か て》やら、雨具やら、郡司の吏《り》に咎《とが》められた時に示す戸籍の券やら、一束《ひとつか》の弓矢をも結《ゆわ》いつけて、豊田の館《たち》を出るとすぐの坂道へ、意気揚々と、降りて行った。
 どこかで、蝦夷萩の顔が、自分を見送っているような気がしたが、振向いても、仰いでも、行くてに展《ひら》けた桑畑をながめても、どこにも見えない。
 ——殺されますよ。武蔵野を通ると。
 と、あんなに熱い息でささやかれたのに、彼の頭には、自分の死が、ちっとも、考え出されて来なかった。水々しい果物のような乳くびだの、すこし縮《ちぢ》れている猪油の黒髪だの、キリキリと前歯をきしませたあの時の唇もとだの、そんなものしか脳膜に写って来ない。
 沼、川、また沼、葦《あし》の湿地。曠野の道でいやなものは、水だった。下総の猿島《さしま》から、武蔵の葛飾《かつしか》、埼玉《さいたま》、足立《あだち》の方角をとって歩こうとすれば、大河や小さい河は、縦横無尽といっていい。坂東太郎と敬称する大利根の動脈を中心として、水は静脈のように流れているというよりは、この大陸を、暴れまわっているといった方が実際の相《すがた》に近かった。
「おうい。豊田の童、どこへ、おじゃる?」
 旅の二日目。
 小次郎は、誰やらに、呼びとめられた。
 彼は、うしろの人を見かけると、彼らしくもなく、あわてて馬を降りた。お辞儀もした。
「景行《かげゆき》さまで、ございましたか」
「和子《わこ》。ただ一人で、どこへ行く」
「大叔父のいいつけで、この栗毛を、タネ付けに持って行きます」
「どこの牧への」
「横山ノ牧まで」
「え、横山へ。和子ひとりでか」
「はあ」
 景行も、馬上だった。うしろには七、八名の従者をつれていた。……不愍《ふびん》なと、小次郎を見るように、しげしげと、馬の背からながめていたが、
「横山とは、遠すぎる。もう甲斐《かい》に近い笹子山《ささごやま》のてまえになる。わしは比企《ひき》の郡司の庁まで行くところだから、あの近くの菅生《すごう》ノ牧で、良い馬に、種付けしてもらうがいい」
「叱られます。叔父御たちに」
「庁から、横山ノ牧の者へ、ほどよく、口をあわしておくように、使いを出しておいてやる。大掾の国香どのへは、知れぬようにしてやるから、わしの供に、交じって来い」
「はい。じゃあ、そうします」
 菅原景行は、尊敬している人だった。彼にとって、どういう印象があるわけでもなかったが、亡父の良持が、賞めていた人だからである。その亡父のはなしでは、この人は、今でこそ、こんな田舎へ落ちて来て常陸の大掾国香よりも低い身分の地方吏を勤めているが、ほんとは、朝廷で、右大臣《うだいじん》にまで昇り、学問では、諸博士でも及ぶ者がなかった、菅原道真《みちざね》公の、三番目の実子だということだった。
 菅公の名は、こんな遠い地方でも、知らない者はなかった。今から十三年前、筑紫《つくし》の配所で死んで以来、なぜなのか、神格化されて、崇めねば、むしろ恐ろしいもののように、鳴りとどろいている。
 筑波山の麓には、わずかな菅家《かんけ》の荘園があった。景行は、父の遺骨をもって、筑波のふもとに祀《まつ》り、そのまま、住みついて、地方官吏の余生を送っている者だという。
 一時、もっぱらいわれた郷《さと》の噂も、小次郎は、うろ覚えに、記憶していた。——そういうものが、漠然と、かれの敬礼《けいらい》になり、かれの言葉つきまでを、ていねいにさせたのだった。
 景行としては、小次郎の旅行を、はて、おかしいがと、すぐに、疑われたものがあったのである。良持の死後、豊田の館にはいりこんで、後見している三名の叔父たちが、なにを、意図しているか、察し難いことではない。殊に自分の上官ではあるが、大掾の平国香なる人物が、どんな性格かということは、吏務のうえからも、よく分っている。
「わしに出会って、おまえは、命びろいをしているのだぞ」
 景行は、それとなく、小次郎にいいきかせ、菅生ノ牧まで連れて行って、そこでも、
「わしは、これから公用で、比企の庁へ行って、故郷《く に》へ帰るが、おまえは、良持どのの総領《そうりよう》、殊に帝系の家の御子なのだから、身を、大事にせねばいかんよ。いいかね」
 と、くれぐれも、諭《さと》した。
「ええ。……うん。……うん」
 小次郎は、幾度も頷《うなず》いた。だが、どの程度、呑みこめたのかは疑問である。彼と別れた翌日、ここの御厨の下司《げす》が、彼の持って来た栗毛の牝と、秘蔵のたね馬とを、契《か》け合せると、小次郎は、我をわすれて眺め入り、終るまで、一語も発せず、満身を、血ぶくろみたいに、熱くして見入っていた。
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