そこは、王朝官衙の八省のひとつ、刑部省《ぎようぶしよう》の門内にちがいない。
省内には、贓贖《あがもの》司《つかさ》、囚獄《しゆごく》司、五衛府《このえふ》、京職《きようしき》、諸国司などの部局が、各構内にわかれ、各《おのおの》、庁舎をかまえて、衣冠の官吏が、それらをつなぐ長い朱塗り青塗りの唐朝風な歩廊を、のんびりと、書類などかかえて、往き来している。
かつては、弾正台《だんじようだい》もあったが、今は廃され、代るに、検非違使庁が、設けられ、近頃になっては、刑部省行政のうちで、もっとも活溌な一機関となっていた。
いうまでもなく、ここの管下では、巡察、糺弾、勘問、聴訴、追捕、囚獄、断罪、免囚など、刑務と検察行政のすべてに亘《わた》っている。——禁門外の京中はもちろん、畿内《きない》、全国の司法も視《み》、地方には地方の検非違使を任命してある。
「おいらは、罪人じゃない。何も、悪い事はしていない」
小次郎は、昨夜から、気がつくと同時に、自分の不安に、自分でいい聞かせていた。
「獄舎《ひとや》だ」ということは、彼にも、ひと目でわかった。彼のほかにも、牢のすみには、臭い動物みたいに、気力なく、ごろごろしている囚人が、幾人かあった。
「童。おめえも、火放《つ》けしたか、物盗りをやったのか」
と、それらの者から訊かれたりした。
小次郎は、時々、ぽろぽろと、涙をこぼした。なにか、無念なのである。童心の潔癖が、心外さに、顫《おのの》くのであった。
「おいらは、桓武天皇から、六代目の御子だ。坂東武士の平《たいらの》良持という豪族の子だ」
みずからの純潔を奮いたたせるために、彼の胸は、ふだんには意識もしてない血液のことが、沸《たぎ》るばかり、呟かれてくる。
「役人の前へ出たら、そういって、威張ってやらなければならない」
唇をかんで、獄舎に、待ちうけていた。
すると昨夜、自分に“気つけ水”を呑ませてくれた最下級の捕吏が、覗き窓から、眼を見せて、
「おう、元気だな、童。おまえは、直きに出されるよ」と、教えてくれた。
間もなく、衣冠の囚獄吏が、令史《れいし》、府生《ふしよう》、獄丁《ごくてい》などの下役をしたがえて、外にたたずみ、
「出してやれ」
と、顎で命じた。
そして、小次郎を、聴訴《ちようそ》門の庭にすえ、どういうわけで、八坂の群盗共の中にいたかを取調べ、理由を聞きとると、むずかしい追及はせず、彼の所持品を、眼のまえに、返してくれた。そして、
「立ち帰って、よろしい」と、いい渡した。
所持品の中には、大叔父、常陸の大掾国香から、藤原忠平にあてた大事な書類がつつんである。彼は、解いて、たしかに、あるのをよろこび、今度は、懐中《ふところ》にそれを持って、白洲《しらす》を辞した。
すると、獄司は、門まで送って来て、しきりと、小次郎の物腰を見ていたが、
「おいおい、東国の小冠者《こかんじや》。おぬしは、ほんとに、忠平公のお館へ行くのか」
と、訊ねた。
「ええ、参るんです。どっちへ行ったらいいでしょう」
「じゃあ、その書状に見ゆる、大掾国香どのの、由縁《ゆかり》なのか。ほんとに、そうなのか」
「はい。国香は、私の大叔父です。私は、東国の豪族、平良持の子、相馬の小次郎と申すんです」
こういえば、獄司にも、帝系の御子だということくらいは、いわなくても分るだろうと、小次郎は、ひそかに、晴がましい血を頬にのぼせた。
案のじょう、獄司は、態度をあらためた。そして、初めて都の地をふむのでは、大臣のお館たりとも、方角に迷おう。放免(下級の偵吏《ていり》、後世の目明《めあか》し)を一人、道案内につけてやろう——と、親切を示した上で、
「これよ、小次郎冠者。もしな、そのおてがみを、直々に、忠平公へ出す折、何ぞ、途中の事どもを、公のお口からたずねられたら、云々《しかじか》の理由《わ け》で、刑部省の獄司、犬養《いぬかい》の善嗣《よしつぐ》に、一夜、たいそう心あたたかな親切によく世話してもろうたと……そこは、お聞えよく、話しておくりゃれ。……のう。頼むぞ。わしの名を、忘れずにな」
と、露骨な、自己宣伝の依頼を、平気な顔でいった。