翁は、以てのほかな顔をした。
「どうしてでござりまする。せっかく、かかる野末のあばら屋へ、わざわざお訪い下されたものを」
泊ってもらうつもりだという。
そのため、もう、湯殿では風呂を焚かせ、厨では、老妻や娘までが、あの通り、炊《かし》ぎのけむりをあげて、何はなくとも、野の味、川の味、真心を喰べていただこうとして、大騒ぎをしてもいる。
「すぐ、お立ちとは、余りも、味気のうございまするぞ。豊田の御先代には、どれ程、お目をかけていただいたか知れませぬ。そもそも、てまえが、都から弟子共《でしども》をひきつれて、ここに部落を開いたのも、良持様のお招きに依るのです。この地方には、よい鎧師《よろいし》ひとりいない。もし、諸職を連れて坂東へ下るなら、一代、仕事は決して手あきにはせぬ。どのような世話もしようと、あのお殿の御親切にもほだされ、また、都にも住み飽いた心地なので、弟子、諸職の者を語ろうて、ここに住んでからもう二十幾年になりました。……その良持様も世を去られ、ふと、稀に淋しむこともおざりましたところ、思いがけない、御子の御成人を今、眼《ま》のあたりに拝して、この爺《じじ》は、思いも千々《ちぢ》に、むかし懐かしゅう存じあげておりますものを」
——涙を、拭くのである。
将門は、立ちかねてしまった。腹がへったなどとも、いい出せない。
翁の名は、伏見掾《ふしみのじよう》といい、山城《やましろ》の生れだが、この地方へ下り工匠《たくみ》として移住してからは、単に野霜の翁とか、野霜の具足師《ぐそくし》とよばれている。
唯一の後援者であった良持の没後は、一時、部落の諸職とも、仕事を失って、途方にくれたが、その後、大串の源護が、それに代る以上の註文を出し始め、以来常陸源氏の諸家の武具をひきうけて、年中、手のあくことはないなどとも、話し出した。
「御先代の良持様にお納めした、美々しい御鎧やら、雑兵具足やら、弓、矛《ほこ》、長柄なども、おびただしい数でござりましたが、あれらの品々は、まだ武器倉に、そっくり、お伝えでござりましょうな。いちど、あなたのお体に合せた具足も、ぜひ、作らせていただきたいもので……」とも、いったりする。
将門は、つい淋しい顔をした。梨丸も、それをいわれると、感情が顔に見えた。地方の豪族の頼みとするのは、土の次には、武器なのだ。自分の主人には、その二つとも、今はない。
「明日の朝は、どちらへ向けて、お立ちでございますな」
翁は、もう泊るものと、独りぎめして、そう訊いた。——筑波の叔父共のやしきへ、と将門が答えると、
「ははあ、水守や羽鳥へいらっしゃいますか。やれやれ、それは」
と、なにか浮かない顔をした。
野霜の翁も、将門の今の境遇は、知っているらしい口吻《くちぶり》である。自分の納めた武具が、今も倉にありますかと訊いたのは、わざと、将門の口を誘うために訊ねたのかもしれない。
良持の遺子たちへ返すべき広大な土地を、その叔父たちが結托して横領しているという事実は、相当、近郷の土民にまで知れ渡ってかくれない噂になっているらしい。——野霜の翁の歓待は、ただ、むかし懐かしいとする情のみではなく、実は、そうした将門を、哀れがっているのかもしれなかった。
いや、それから、夜更くるまで、馳走になりながら、次第に打ち解けて話しこんでみると、ここの家族が皆、こぞって、将門を、気のどくな、あわれな、御不運な御子として、同情しているものであったことが、なお、はっきりした。翁の妻の、もう五十以上とみえる媼も出て来て、給仕に傅《かしず》きながら、話のそばで、貰い泣きしているのである。
「羽鳥へお出でなされても、石田の国香様のお館へおこしなされても、ゆめ、お腹をお立てなされますな。ひとは皆、知っております事じゃ。それに、万一、お身に怪我などあってはなりませぬ。それこそ、亡きお父上良持様が浮かばれませぬ……」
媼もいう。翁もいう。
あたたかな人心にくるまれ、あたたかな食物に腹をみたし、将門は、ついにその晩は、野霜の具足師の家に寝た。家はなかなか広く、弟子やら召使やらも多く、ゆたかな感じである。そして、寝屋《ねや》に導かれるとき、どこかで、若い娘の声もした。その美しい声のぬしを想像しながら、将門は、すぐ眠りにおちた。
夜明けに立ちたい、といっておいたので、まだ、朝霧のふかいうちに起された。食事をし、弁当も作ってもらい、家族たちに送られて、門を出るとき、ふと、将門は馬の上から媼のそばにいる十六、七歳の娘を見た。まるで平安の都で見たような娘だった。将門の視線がゆくと、娘は母の肩の蔭へ、身をかくした。朝の陽が、まばゆげな彼女の顔を、鮮らかに、浮かせていた。
「……お帰りがけにも」
と、家族たちがいった。将門はうなずいたが、実は自信がなかった。土塀門の方へ、馬の尾がめぐると、梨丸はすぐ口輪を把った。梨丸も、この道を、もう一度通るでしょうとは誰にもいわない。
「おさらば」
と、馬が歩き出してから、将門は振り顧《かえ》った。——と。まだ立っている家族たちの視線が、みな、べつな方へそれていた。将門も、馬上から見まわした。彼方の青芒《すすき》の上に五、六名の上半身が見えた。中のひとりは、騎馬である。
相互から近づくほどに、当然、その者たちとすれ交《ちが》った。騎馬の若い武士は、将門の顔を、無遠慮に、白眼で見た。狩衣といい、鞍といい、太刀といい、この地方では、甚だしく目立つ程な装いである。従者たちでも、将門よりは立派である。梨丸は、そッぽを向いて通りぬけた。
やり過ごしてから、将門が訊いた。
「梨丸。いまのを、知ってるか——。誰だい、あれは?」
「あれが、源扶ですよ。大串の源護の嫡男とかいう」
「常陸源氏か。……成程、派手やかなものだな」
「息子たちはもう、御曹子《おんぞうし》とか、若殿とか呼ばせて、畑にも、森にも、出ませんからね。……けれど、梨丸の御主人の方が、はるかに常陸源氏などより、家がらは上です。桓武天皇から六世の御孫でしょう。里の者でも、あの人たちを、御子とは誰も呼びはしません」
梨丸は、ひとりでしゃべっていた。将門がうしろを振向いているのを知らないのである。将門の眼は、ただ今、自分が別れて来た土塀門の前で、その常陸源氏の御曹子が、馬を降りて、家来たちと共に、威儀づくりながら、家の中へ迎えられているのを——馬の背に揺られ揺られて見ていたのだった。