常陸も北と南では、かなり季節がちがう。
石田の館は、南常陸にあった。
二月。筑波の風はまだ冷たいが、宏大な館の築土にも、中門の籬《まがき》にも、紅梅白梅がもう綻《ほころ》んでいた。
大掾国香は、朝から機嫌である。蓬莱《ほうらい》の翁《おきな》のように、白髪ながらきれいに櫛を入れて結髪もし、直衣《のうし》の胸にも白い疎髯《そぜん》を垂れている。烏帽子《えぼし》、衣紋《えもん》も着崩さずに、なにかと、客待ちのさしずをしていた。
やがて、家職や侍たちが来て、準備の出来たことを告げると、
「そうか。客門の辺りばかりでなく、客人《まろうど》の駒をつなぐ厩《うまや》なども清めたろうな。厩の不精ッたいのは、嫌なものだ」
「藁一つ散らしてないように、清掃しておきました」
「よし、よし。……もうやがてお見えだろう」と、幸福そうに老眼を皺《しわ》めて恍惚《うつとり》と庭園の春日に眸を細めた——。
「右馬どのには、何しておられるか」
「今し方、お湯殿を出られ、御装束更《ごしようぞくが》えを遊ばしていらっしゃいます」
「すっかり、都風よの。あれもなかなか洒落者ではある。支度がすんだら、客人たちのお見えになるまで、これへ来て、父と話さぬかというてくれ」
右馬どのとは、自分の長男、さきの常平太貞盛をいうのである。新たに、右馬允に昇官したので、この老父は、愛情と自慢を併せて、意識的に、家人たちには、近頃そう呼ばせていた。
「父上、これにおいでで」
「お、貞盛か。まあ坐れ。日和《ひより》にめぐまれてよいあんばいだった」
「きょうの客人は、誰方《どなた》と誰方ですか」
「正客は、源護どの。水守《みもり》の良正、羽鳥の良兼など、ごく内輪だけにしておいたが」
「護どのの御子息たちは」
「来るだろう。案内はしておいたから」
「都へ出たまま、久しく帰国もしませんでしたが、以前とは、比較にならぬ程、荘園も拡まり、家人郎党も殖え、このお館など、見違えるばかり華麗になりましたな。これ程な生活《くらし》は、都でも大臣か督《かみ》ぐらいの地位でないと出来ません」
「しかし、わしの官位などは、依然として、大掾に止まったままだ。何というても、田舎にいては、分《ぶ》がわるい。お許《もと》は、右馬允になり、やがては、衛府《えふ》の頭《かみ》にもなれよう。官職では、この老父よりはるかに上じゃよ」
「あちらでは、仁和寺《にんなじ》の式部卿宮《しきぶきようのみや》だの、右大臣家や九条師輔様などに、なんとか、引立てをうけております。中央では、何といっても、摂関家や親王方などにお近づきを得なければ立身は成りません。……あ、それで思い出しましたが、小次郎将門は、この頃、どうしていますか」
「将門か。……ふふふふ」と、国香は下唇を反らして笑った。貞盛を見るときは、眼の内へも入れてしまいたいような愛情に溶《と》ろけるこの老父が、将門という名を聞いただけで、眸の底から呪咀《じゆそ》の光を見せるのだった。
坂東にいて、都にも負けない居館や、家人《けにん》眷族《けんぞく》の慴伏《しようふく》の上に坐し、有徳《うとく》な長者の風を示している大掾国香も、常南の地に、今日の大をなすまでには、その半生涯に、信義だの慈悲だの情愛などというものは、すべて自分のうちに締め殺して、外には敢て、辛辣《しんらつ》な手段や方法を、成功の秘訣とえらび、強欲の収得を累積してきたにちがいない。年は、七十余齢、いまでは深くつつんでいる過去のそうした時代の物欲の夜叉《やしや》だった片鱗も、どうかすると容貌の皺の底からにじみ出てくる。
「いや、弱るよ、あの将門にはな。……ややもすると今でも、良持の遺言だの、荘園の古証文など持ち出して噪《さわ》ぐ。よほど、根ぶかい遺恨としているらしい。そのため、何か、われらもおちおちしておられぬ。良兼も良正も、一族繁栄の中で、それ一つが、禍いだと申しおる」
「鈍物《どんぶつ》の一念でしょう。悧巧《りこう》でないから、なお、始末がお悪いにちがいない。はははは」
「笑い事かよ貞盛。そもそもは、お許もすこし怠慢であったぞ」
「ホ。私にも罪がありますか」
「あるぞよ。——それ、そのように、忘れ顔ではないか」
「はて? 仰っしゃってみて下さい」
「過ぎ去った事だが、将門がまだ都にあるうち、お許への密書のうちに、いいつけておいたであろが。……将門めが、国許へ無事帰って来ては面倒になる。都にいるうちに、何とか、処分するようにと」
「あ、なるほど。思い出されます。——彼の在京中、折あらばと、私も密《ひそ》かに、尾け狙ってはみたのでした。しかしヘタに仕損じたら大変ですからな。つい、殺す折がなかったわけです。また、あの才気もない魯鈍《ろどん》な人物故、帰国したところで、父上や叔父御たちで、どうにでもなろうと、それも、多寡をくくっていた一因でしたが」
「いや、鈍は鈍でも、彼奴を帰国さしたのは、せっかく、都の檻《おり》に追いやった野獣の子を、都で育てて、またわざわざ坂東の野へ放してよこしたようなものだ。お許の抜かりよ、それだけは」
「これは、時過ぎてから、思わぬきついお叱りで」
「なにも、改まっていうではないが、いずれきょうの宴には、良正、良兼などからも必ずその話がむし返されて出るにちがいない。あらかじめ、親心でいうておくのだ。もし叔父共が責めたら、よいようにいい解けよ」