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平の将門69

时间: 2018-11-24    进入日语论坛
核心提示:招かざる味方 さすがに皆、戦いつかれて、血と土にまみれた姿を、かえりみ合った。たれの具足にも、矢が立っている。「もう追う
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 招かざる味方
 
 
 さすがに皆、戦いつかれて、血と土にまみれた姿を、かえりみ合った。たれの具足にも、矢が立っている。
「もう追うな。これくらい痛めてやれば、懲《こ》りたろう。この広い曠野、どこまで、追い捲《ま》くしても、果てはない」
 将門は、馬を降りた。水が飲みたかったのである。家々の間を、水の樋《とい》が通っている。そこの筧《かけひ》の落ち口へ、顔をよせていた。
 将文も、兄をまね、郎党たちも、池のまわりへ、屈み合った。
 すると、将頼が、注意した。
「やあ、兄者人。かりにも、馬を降りてはいけませんぞ。あぶないあぶない」
「なぜか。将頼」
「ごらんなさい。どこの農家も、空き家です。空き部落だ。察するところ、今まで、敵がいたにちがいない。四方から火を放たれる怖れがありましょう」
「や、そうか」将門は、急いで、馬を寄せた。日頃は、意気地のない、気弱な将頼と思っていたが、その将頼が、きょうは自分よりも、落着いているし、よく何かに気がつくのには、驚かされた。
「早く、野へ出ましょう。味方も追々、寄って来ましょうが、部落の中にかたまるのは、物騒です。遠見もきかないし」
「オオ、いう通りだ」
 急に、人数をまとめて、走りかけたが、将頼が不安がっていたように、もうその行動は、遅すぎていた。
 家々の狭い間から黒煙が這い、道を駈ければ、どっちへ出ても、いつのまにか、山のように、柴が積んであり、柴はパチパチと、火をはぜている。
 木の間、笹むらへさえ、火が這い出した。また、木の間には、縄を張り渡したり、木を仆したりしてある所もあって、馬を入れるのはおろか、徒歩で駈けるのも、危ういことこの上もない。
「気をつけろ。ここらにも、まだ敵の伏せ勢がいるらしいぞ」
 それに答えるように、弦音《つるおと》や矢うなりが、四方に起った。煙を縫い、焔をかすめて、赤々と見える人影に、矢が飛んでくる。
「あ、兄者人っ」
「弟っ。弟っ」
 呼びあい、呼びあい、見えぬ敵と戦う彷徨《ほうこう》を繰返すだけだった。じつにこの野爪村の陥穽は、以後の将門の性格に大きな変化を来させしめたほど、苦しい苛《さいな》みと危機迫る思いに追いつめられたものだった。そして彼は完全な罠《わな》に陥ちた形になった。いまはこれまでと、観念せずにいられなかったのである。と同時に、きょうまで、上手に企《たくら》んでいた扶たちの——いや大叔父の国香の名を以て、いやおうなく自分をおびき出しにかけた彼等一連の人間共にたいして、本当の怒りに燃えたのもこの日だった。怒髪天《どはつてん》をつくという形容は火中の彼の形相《ぎようそう》そのままであったろうと思われる。
 何しろ彼はここで死ぬ目にあったわけだが、ただ一つの僥倖があった。それは、毛野べりの乱闘で、兄の姿を見失い、そのため、他へ奔《はし》って、弟のうちの将平一人が、この火中にいなかった事である。
 将平は、べつな敵を追って、方角ちがいへ駈けていたが、煙を見たので、一散にここへ駈けつけて来た。そして道の障碍物《しようがいぶつ》や、火の柴を除いて、部落の中の兄たちを、火中から救い出したのである。
「将平か。あやうく、おれは死ぬところだった。よく来てくれた。おれは生きた」
「どこにも、お負傷《てきず》は」
「矢傷の二つや三つ、何のことはない。——おれは生きた。弟たち、見ておれ。おれがどうするか」
「——が、兄上。ここは一度、豊田へ引き揚げた方がよろしいでしょう。何といっても、敵は、充分、用意をもって襲《かか》っている。こっちは、準備のない戦ですから」
 将頼の諫《いさ》めも、将門の怒りをなだめるには足りなかった。彼は、断じて、このまま、豊田には帰れないといい張り、家人郎党を集めて、一たん兵糧を摂《と》り、その間に、偵察を放って、扶や隆等のいる所を突きとめた。
 扶、隆、繁たちの常陸源氏の兵は、ここから半里ほど東の野寺《のでら》に陣していることが分った。また、そこには、常陸方の三兄弟ばかりでなく、将門の叔父水守の良正が、手勢をつれて加わっているともいう。
「みろ。奴らは、おれの叔父共と、与《く》んでいるのだ。どんな手段をもっても、おれを殺さずには措かない気でいるにちがいない。おれが退けば、奴らは、豊田までも、追いしたって来るにきまっている」
 将門は、悲壮な語調で、あたりの一族たちへいった。
「館へ、楯籠《たてこも》ったら、こっちの負けだ。それよりも、おれは、豊田の百姓や郷《さと》の民が、奴らに、放火されたり、掠奪《りやくだつ》されて、逃げまどうのを、見てはいられない。——同じことなら、こっちから攻め込め。奴らの土地の館でも民家でも、焼き払ってしまえ」
 彼はもう馬上になって、阿修羅《あしゆら》の姿を、先に進ませていた。初めは、百五、六十人の小勢であったが、毛野べりの事が早くも豊田本郷へ知れ渡ったので、後から後から、将門の身を案じて駈けつけて来る者が絶えなかった。
 館の下僕《しもべ》から、郷《さと》に住む地侍《じざむらい》といった類の者まで、およそ日頃から常陸源氏の一族に、反感をもっているか、あるいは、被圧迫的な立場におかれている者など、お互いに、呼びかけあって、
「野爪へ行け。将門殿を助けろ」
 と、火の手を見て、集まって来た。
 それに、もとよりこの地方も、かつては、将門の父良持の旧領であったから、大掾国香や、良正、良兼たちの多年にわたる悪行を憎んで、ひそかに将門に同情をよせていた者も少なくない。
 それらの人々も、すべて、
「野爪に、合戦があるぞ」
 と聞くと、破れ具足をまとったり、サビ刀を横たえたり、また、鞍もない野馬の背にまたがって、飛んで来る者も多かった。
 かくて、やがて将門は、敵の屯《たむろ》と見た野寺をめがけていよいよ攻勢にかかったが、その時、ふと振り向いて、初めよりは当然、減っていてよい筈の人数が、かえって何倍にも殖えているので、これには将門自身が、
「おや、どうして、こんなに、おれのうしろに味方がいるのか」
 と、大いに驚いたということである。
 
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