高原の二月は、まだ残雪の国だった。
春は、足もとの若草にだけ見えるが、遠い視界の山々は、八ケ岳でも、吾妻《あがつま》山脈でも、雪のない影はない。
「——なに、将門が追い慕って来たと?」
右馬允貞盛は、そう聞いても、初めはほんとにしなかった。
けれど、ゆうべ碓氷権現《うすいごんげん》の境内に、その将門、将頼、将文などの手勢が、宿営したという噂は、途々、何度も耳にした事だし、また佐久《さく》ノ御牧《みまき》でも今、
(およそ百数十騎の兵が、今日は、佐久高原から小県《ちいさがた》あたりを、何やら血眼になって、狩り捜している様子です)
と、そこの牧夫たちから聞かされたので、今は、疑う余地もなかった。
「——真樹《まき》。どうしたものだろう?」
貞盛は、馬上から振り向いた。長田真樹、牛浜忠太《うしはまのちゆうた》を始め、従者はおよそ四十騎しか連れていない。
「彼奴に、追いつかれては大変だ。——というて、この信濃路、山越えして諏訪《すわ》へ抜けるか、千曲《ちくま》の川原を渡って、更級《さらしな》、水内《みのち》から越後路へ奔《はし》るか、二つのうちだが……忠太はどう考えるぞ」
「さ。山に雪さえなければですが」
真樹も忠太も、暗澹と、行き暮れたような顔つきである。将門と聞いただけでも、彼等は、胆のすくむ思いがする。まして味方はこの小勢、しかも都へ向って、常陸からそっと落ちのびて来た旅装のままだ。何しろ逃げられるだけ逃げるに如《し》くはないと思う。
貞盛にも、万夫不当《ばんぷふとう》の勇があるわけではない。真樹、忠太の考え方は、そのまま貞盛の分別でもあった。
「さらば、善光寺平《ぜんこうじだいら》へさして、ひた走りに、急ごう。あとは、夜の匿れ家でも見つけた上の思案として」
騎馬、徒士《か ち》、あわせて四十人ほどの主従は、この日、小諸《こもろ》附近から小県の国府(上田近傍)あたりまで、道を急いでいた。
そして、千曲の河畔《ほとり》へ出たと思うと、何ぞ計らん、渡船小屋らしい物を中心に、一かたまりの人馬が、こっちを見て、俄に、弓に矢をつがえたり、矛《ほこ》、長柄の刀などを構えて、何か、喊声《かんせい》をあげ始めた。
「や。将門の豊田兵らしいぞ」
「それにしては、小人数ですが」
「先廻りして待伏せていた一小隊にちがいない。後の人数が来ぬうちに」
「そうだ。将門さえいなければ、あのくらいな小人数の敵は……」
急に、貞盛たちも、戦備をととのえた。
まったく何の陣形の用意も偵察もなしに、突然、双方の間に、猛烈な矢戦が始まった。——十五、六人の豊田兵の中にいて、指揮している若い騎馬武者は、たしかに、将門の弟の将頼か将平にちがいない。
「怯《ひる》んだぞ、敵は——」と、貞盛は、初めの優勢に、奮い出して、「この隙《すき》に、千曲を駈け渡ってしまえ。多寡のしれた将頼の手勢、恐れることはない」
と、自身、真っ先に、しぶきをあげて、浅瀬へ、駈け入った。
ところが。
そこから二町ほど上流を、一群の騎馬が、先に対岸へ渡ってゆくのが望まれたし、また下流の方からも、黒々と、一陣の兵馬がこっちへ襲《よ》せてくる。
「あっ。いけないっ。——将門だ」
貞盛は、そう叫ぶと、仰天のあまり、あやうく馬から河中へ落ちそうになった。