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平の将門92

时间: 2018-11-24    进入日语论坛
核心提示:山中放浪 山岳地帯は、まだ雪融《どけ》もしていないとみえ、千曲川の水は少なかった。渺《びよう》として広い河原に、動脈静脈
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 山中放浪
 
 
 山岳地帯は、まだ雪融《どけ》もしていないとみえ、千曲川の水は少なかった。渺《びよう》として広い河原に、動脈静脈のような水流のうねりを見るだけである。
 将門の手勢は、三ヵ所に分れていた。将門にとって、この日ほど、快味を感じたことはなかったろう。貞盛はもう網の中にはいった魚だ。あとは網をしぼって、手づかみに捕えるだけのものである。
 しかし、貞盛とて、こうなれば、やみやみ坐して敵手にかかるほど怯者《きようしや》でもない。
「しまった」
 一度は絶望的な叫びをもらしたが、たとえ敵の半数以下にしろ、四十人の郎従は連れている。これだけの者が死を決すれば——と思い直した。
 彼は、戦にも、勇よりは智が働いた。
「あの渡船小屋に拠って戦え。小屋の蔭や楊柳《かわやなぎ》を楯にとって、めったに出るな。物蔭からただ矢を放て」
 何の掩護物もない戦場では、これは有利にちがいない。しかし、将門方は戦備して来た兵だし、貞盛たちは、旅装である。また何よりも、持っている矢の数にも限度がある。
 当然、矢が尽きてきた。
 頃はよしと、将門の兵は、渡船小屋を中心に、取り巻いた。将門、将頼、将文、将平と、兄弟、駒をそろえて、
「貞盛。出ろっ」
 と、呼びかけた。
「おうっ——」と、小屋の蔭から、悍馬を躍らせて、出て来た者がある。
 貞盛と見たので、将門が、
「手捕りに、手捕りに——」
 と、弟たちへ注意した。
 その一騎はなかなか勇猛だった。彼のために傷つく者が少なくない。
 いやここばかりでなく、乱闘乱戦、さながら野獣群の咆哮《ほうこう》となった。誰か一人が小屋へ火を放つ。その炎と黒煙も双方の殺伐を煽り立てた。
 やがて、勝つ方が勝った。討ち洩らされた貞盛の郎従は、蜘蛛の子みたいに、山地の方へ逃げ散った。将門は血ぶるいしながら、敵の屍を辺りに見て、
「将頼、将平っ。……どうした、貞盛の身は」
 と、弟たちの姿へいった。
「惜しいことをしました」と、将頼が答えながら馬を寄せて来た。「——生け捕りにして、郷里へ曳いてくれんと思いましたのに」
「なに。逃がしたのか」
「いや、自害してしまいました」
「自害したか——」と、将門は悵然《ちようぜん》と歎声の尾を曳きながら、
「憎い奴だが、さすがは、恥を知っている。自害したものなら仕方がない。将頼」
「はいっ」
「首を挙げろ」
「心得ました」
 将頼は馬の背から飛び降りた。
 将門以下、豊田の将兵は、そのとき、粛《しゆく》として、心に、凱歌の用意をしていた。
 ところが、次の瞬間には、じつに計らざる事実が起っていた。
「や! こ、これは貞盛ではない」
 と、首を挙げてみた将頼もいえば、また、周囲の者も、騒ぎ出したのである。
「太刀、具足など、貞盛の物を着けているが、貞盛の郎従、長田真樹だ——。長田真樹が、身代りに立ち、貞盛らしく振舞っていたのだ」
「では……当の貞盛は?」
 と、将門の眼には、涙がこぼれかけて来た。
「供の郎従たちの中にまぎれて逃げ失せたか。それとも?」
 乱戦のあとを思い出してみれば、小屋が黒煙を吐いたとき、中にいた渡船の老爺だの、土民らしい者が何人か、こけつ転《まろ》びつ逃げて行った。
 ひょっとしたら、その中に、姿を変えていたかもしれない。
 いやいや、そんな隙があったとも思われぬ。あるいは、亡骸《なきがら》になって、べつにそこらに仆《たお》れているのではあるまいか。
 将頼、将平たちは、兄の茫然たる面を見るに耐えないように、辺りの敵の死骸を一個ずつ見て行った。が、すぐにその徒労を覚《さと》った。
「残念だ。しかし、落胆しているばあいでない。……この上は、手分けをして、たとえ、貞盛がどこへ潜もうと、尋ね出さずにおいていいものか」
 将門は面を蒼白にして、弟たちへ命令した。百余人が八組に分れ、里、野末、山岳方面など——思い思いに捜索に向った。
 が、その日はついに手懸りもなく暮れた。
 翌日もその翌日も、山里の部落や道という道を捜し廻った。こうなると、不利なのは、かえって大人数の方だということになる。いちいちの行動がすぐ遁走者には覚られているにちがいない。それと、土地の郡司は、「下総の将門の手勢らしい——」と聞くと、邪魔はしないまでも、すこぶる冷淡な態度を示した。むしろ、右馬允という肩書をもち、中央政府にも、公卿社会にも関係のある貞盛の方へ、暗々裡な庇護がうごいていた。当然、貞盛もその方面の手に隠れて、危地を脱していたにちがいない。
 それにしても、貞盛は、惨憺たる苦労をしたもののようである。
 おそらく、身一つで木曾路へのがれ、やがて京師に辿りついたものであろう。さっそく、帰洛届と共に、将門の暴状を、太政官に訴え出た。その上訴文の一部に、彼自身、千曲川の難をこう書いている。
——寧《ムシ》ロ京師ニ上リ訴フル所アラント、二月上旬、東山道ヲ発ス。将門、謀《シノビ》ヲシテ、我ガ上京ヲ知リ、軽兵百余騎、疾風ノ如ク追躡《ツイデフ》シ来ル。二十九日、信濃《シナノ》小県《チヒサガタ》国分寺ヲ通《ス》グルニ、既ニ将門、千曲川ヲ帯《タイ》シテ待チ、前後ヲ合囲ス。我ハ小勢ニシテ大敗スルモ、貞盛ナホ天助アリ、山ヲ家トシ、薪《タキギ》ニ枕シ、艱難《カンナン》漸ク都ニ帰リ着クコトヲ得タリ……。
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