この六条坊門附近は、娼家の巣であった。近くに市があり、細民町だの盛り場もある。八坂の不死人は、この辺を根じろに、官憲を翻弄《ほんろう》していた。やりたい放題、都の秩序を乱している。もちろん、彼の下には、八坂時代の手下が前より多く集まっていた。そして検非違使をテコずらせたり、根のない風説を撒《ま》きちらしたり、公卿堂上を動揺させては——また当分、市や娼家の雑民街へ、泡つぶのように、消え込むのである。
夏の末頃。
不死人は、海の仲間から、連絡をうけとった。
(いつもの会合を、江口でやるから、江口まで出て来てくれ)
という純友の手紙である。
そこへ出向く日、不死人は手下の穴彦、保許根《ほこね》、禿鷹《はげたか》などへかたくいいつけた。
「——ぬかりはあるまいが、例の右馬允(貞盛)の門の見張りだけは、怠るなよ。それに弟の繁盛の方もだ。このところ、奴らと官辺のあいだに、何やら往来が多いようだし」
不死人は、穴彦に送られて、淀から小舟で、摂津へ下って行った。
江口の一楼には、もう大勢の友人が来ていた。——藤原純友、小野氏彦、津時成、紀秋茂、大伴曾良《おおとものそら》、伊予道雅などといった顔ぶれだ。
公卿の果てや、地方吏のくずれである。
そして、南海の任地で、海賊に変じ、数年前から、公然と、瀬戸内の海を、わがもの顔に横行している連中である。
それも初めは、伊予の日振島《ひぶりじま》を中心に、ある限界を出なかったが、海賊の経験が、訓練を経てくる一方、官辺の無力さがだんだん分ってきたので、近頃は、四国の北東から、淡路、摂津の近海まで、悠々と横行したり、そして時には、この淀川尻の、江口、蟹島、神崎あたりへも、陸《おか》の酒を飲みに上っていた。
彼等は、江口、神崎の上客だった。往来の旅人や、公卿などとは、散財ぶりがまるでちがう。
何か、密議をやったあとは、妓《おんな》たちを交じえて底ぬけの大遊びだった。それも一日や半夜ではない。二日も三日もぶっ通して、酒、女に飽くのであった。
すると、早舟に乗って、六条の留守の巣から、禿鷹が、知らせに来た。
「貞盛が、急に、東国へ立ちましたよ。それに、太政官では、いよいよ、将門を叛逆者とみとめて、征討の令を出すとか、征討大将軍を誰にするとか、評議が始まっているそうですぜ」
不死人は、聞くと、
「そいつは大変だ。こうしてはいられない」
と、俄に、あわてた。
「じゃあ、都では、将門討伐軍が、もう出発すると、騒いでいるんだな」
「いや、まだ、そこまでは行っていません。だらしのない公卿評議ですから、そいつもまた、いつ、立ち消えになるか知れませんがね、まあ、探ってみたところでは、九条師輔や大納言実頼などが、そう運ぼうとしているということなんで」
「貞盛は、その約束を握って、東国へ下ったんだな」
「それだけは、確かでしょう。——ところが、おかしい事には、誰も、将門討伐の大将軍になりてがないっていう噂です。何しろ今、東国じゃあ、将門と聞くと、ふるえ上がって、立ち向う奴もないほどな勢いだと……公卿たちも皆、聞いていますからね。こいつあ、右馬允貞盛が、堂上衆を焚《た》きつけようとして、余りくすりがきき過ぎちまった形なんで」
不死人は、このままをすぐ、純友に話した。
純友は、そう聞くと、杯の満をひいて、
「機は、熟して来たな。——前祝いだ」
と不死人に、酌《さ》して、
「じゃあ、おぬしも、貞盛を追っかけて、東国へ下ってくれ」
と、いった。
もとより不死人もその気らしい。東国においては、将門に大乱を起させ、海上からは、純友一党が、摂津に上陸して、本格的な革命行動へ持って行こうというのが、この仲間の狙いであった。