誰かいる。約十騎ほど。
赤い西陽《にしび》をうけて。
しかし草には夕闇がこめ始めていた。蕭々《しようしよう》、吹く風は晦《くら》い。で、誰ともわからない、そこの十騎ほどの群は、旗を立てて四方を望んでいる。白地の旗には「毘《ひ》」の一字が大きく見られた。
「敵」
「良き大将」
と、武田勢は駆け寄って来た。
謙信とは知らないのである。
また、その一団の武者を、謙信のほうでも、ごく間近になるまでは、武田方とは気づかないでいたらしい。
「新発田か、柿崎の手の者か?」
ここの旗を認めて、さっそく寄って来た味方の一部とばかり見ていたのだった。ところが、約百歩ほど近づいたとき、
「高坂だっ」
と、謙信のそばで、永井源四郎がさけんだので、初めて一同も、
「すわ」
と、無意識に主君の身を庇《かば》った。
高坂弾正の部下は二、三百もいた。謙信の旗本たちの数十倍である。けれど、高坂隊のうちの一組で、その主隊でなかったのは僥倖《ぎようこう》である。
「あの首を」
と、謙信を目がけて、襲いかかって来たが、的確な目標と、信念ある指揮者がない。たまたま、この乱軍のなかで、数の少ない敵の一かたまりを見たので、殲滅《せんめつ》を志して来ただけのものでしかない。
「雑兵《ぞうひよう》めら」
謙信を守る人々は死力である。
永井源四郎も、竹俣《たけまた》長七も、鬼小島弥太郎も、まず身を躍らせて、敵のなかへ入った。こういう寡兵《かへい》で立ち向ったとき、相手の兵数に呑まれて、身を恟《すく》め、狭地を守り、防ぐばかりを能としていたら、その孤立は完全に、敵の捕捉《ほそく》にまかすしかない。
敵は、その厚い集形に似合わず、永井、鬼小島、竹俣などの奮迅する前から、さっと、影を散らした。
二、三の影は、猛然、槍をつけ、太刀をかぶって、迫ったかに見えたが、謙信のまわりには、殆ど、越後勢のなかでも立ち優れた旗本ばかりいたのである。
ものの数ではない。その太刀やその長巻の大きな刃は、当るものを乱離《らんり》と払いながら、
「おうっいッ」
「おういっ」
と、互いに始終呼びかわしていた。
わずか十人あまりの味方である。分散しては不利だし、また、主君謙信の楯《たて》となる形を崩《くず》すまいためもあった。
謙信はもう馬上にある。
そして、宇野左馬介と、千坂内膳がその口輪を把《と》って走っていた。あとを従《つ》いて、稲葉彦六、和田兵部、岩井藤四郎などが駆けつづき、近づく敵を斬っては駆け、また踏み止《とど》まっては殿《しんがり》していた。