二
「お乗りなさい、はやく、はやく」
筏《いかだ》のうえの男は、早口にいった。いまはなにを問《と》うすきもない。ふたりは、ヒラリと飛びうつった。
ザーッとはねあがった水玉をあびて、男は、力まかせに石垣《いしがき》をつく。——筏は外濠《そとぼり》のなみを切って、意外にはやく陸《おか》へすすむ。そして、すでに濠《ほり》のなかほどまできたとき、
「その方はそも何者だ。われわれをだれとおもって助けてくれたのか」
龍太郎《りゆうたろう》が、ふしんな顔をしてきくと、それまで、黙々として、棹をあやつっていた男は、はじめて口を開いてこういった。
「武田伊那丸《たけだいなまる》さまと知ってのうえです。わたくしは、この城の掃除番《そうじばん》、森子之吉《もりねのきち》という者ですが、根から徳川家《とくがわけ》の家来ではないのです」
「おう、そういえば、どこやらに、甲州《こうしゆう》なまりらしいところもあるようだ」
「何代もまえから、甲府《こうふ》のご城下にすんでおりました。父は森右兵衛《もりうへえ》といって、お館《やかた》の足軽《あしがる》でした。ところが、運わるく、長篠《ながしの》の合戦のおりに、父の右兵衛《うへえ》がとらわれたので、わたくしも、心ならず徳川家に降《くだ》っていましたが、ささいなあやまちから、父は斬罪《ざんざい》になってしまったのです。わたくしにとっては、怨《うら》みこそあれ、もう奉公する気のない浜松城をすてて、一日もはやく、故郷《こきよう》の甲府にかえりたいと思っているまに、武田家《たけだけ》は、織田徳川《おだとくがわ》のためにほろぼされ、いるも敵地、かえるも敵地という|はめ《ヽヽ》になってしまいました。ところへ、ゆうべ、伊那丸《いなまる》さまがつかまってきたという城内のうわさです。びっくりして、お家の不運をなげいていました。けれど、今宵《こよい》のさわぎには、てっきりお逃げあそばすであろうと、水門のかげへ筏《いかだ》をしのばして、お待ちもうしていたのです」
「ああ、天の助けだ。子之吉《ねのきち》ともうす者、心からお礼をいいます」
と、伊那丸は、この至誠な若者を、いやしい足軽《あしがる》の子とさげすんではみられなかった。いくどか、頭をさげて礼《れい》をくり返した。そのまに、筏《いかだ》は|どん《ヽヽ》と岸についた。
「さ、おあがりなさいませ」と子之吉は、葦《あし》の根をしっかり持って、筏を食いよせながらいった。
「かたじけない」と、ふたりが岸へ飛びあがると、
「あ、お待ちください」とあわててとめた。
「子之吉《ねのきち》、いつかはまたきっとめぐりあうであろう」
「いえ、それより、どっちへお逃げなさるにしても、この濠端《ほりばた》を、右にいってはいけません。お城固《しろがた》めの旗本屋敷《はたもとやしき》が多いなかへはいったら袋《ふくろ》のねずみです。どこまでもここから、左へ左へとすすんで、入野《いりの》の関《せき》をこえさえすれば、浜名湖《はまなこ》の岸へでられます」
「や、ではこの先にも関所《せきしよ》があるか」
「おあんじなさいますな、ここに蓑《みの》と、わたくしの鑑札《かんさつ》があります。お姿をつつんで、これをお持ちになれば大じょうぶです」
子之吉《ねのきち》は、下からそれを渡すと、岸をついて、ふたたび、筏《いかだ》を濠《ほり》のなかほどへすすめていったが、にわかに、|どぶん《ヽヽヽ》とそこから水けむりが立った。
「ややッ」と、岸のふたりはおどろいて手をあげたが、もうなんともすることもできなかった。
子之吉は、筏をはなすと同時に、脇差《わきざし》をぬいて、みごとにわが喉笛《のどぶえ》をかッ切ったまま、濠《ほり》のなかへ身を沈めてしまったのである。後日に、徳川家《とくがわけ》の手にたおれるよりは、故主の若君のまえで、報恩の一死をいさぎよくささげたほうが、森子之吉《もりねのきち》の本望《ほんもう》であったのだ。