四
「なにッ、親船が?」
龍巻も、さすがにギョッとして、浜辺のほうをすかしてみると、まッ暗な沖合《おきあい》にあたって、ボウと明るんできたのは、いかにも船火事らしい。
「ややややや」龍巻の目はいようにかがやく。
見るまに沖の明るみは一|団《だん》の火の玉となって、金粉のごとき火の粉《こ》を空にふきあげた。夜の潮《うしお》は燦爛《さんらん》と染《そ》められて、あたかも龍宮城が焼けおちているかのような壮観《そうかん》を現じた。
「ちぇッ、とんでもねえことになッた。それッ、早く漕《こ》ぎつけて、消しとめろ」
とぎょうてんした龍巻は、二、三十人の手下たちとともに、一どにドッと海神《かいじん》の社《やしろ》をかけだしていくと、にわかに、鳥居わきの左右から、ワッという声つなみ!
「海賊ども、待て」
「御用、御用」
たちまち氷雨《ひさめ》のごとく降りかかる十手《じつて》の雨。——かける足もとを、からみたおす刺股《さすまた》、逃げるをひきたおす袖《そで》がらみ。驚きうろたえるあいだに、バタバタと、捕《と》ってふせ、ねじふせ、刃向《はむ》かうものは、片っぱしから斬り立ててきた、捕手《とりて》の人数は、七、八十人もあろうかと見えた。
陣笠《じんがさ》、陣羽織《じんばおり》のいでたちで、堺奉行所《さかいぶぎようしよ》の提灯《ちようちん》を片手に打ちふり、部下の捕手を激励《げきれい》していた佐々木伊勢守《ささきいせのかみ》へ、荒獅子《あらじし》のごとく奮迅《ふんじん》してきたのは、頭《かしら》の、龍巻《たつまき》九郎《くろう》右衛門《えもん》であった。
「おのれッ」とさえぎる捕手を斬りとばして、夜叉《やしや》を思わせる太刀風《たちかぜ》に、ワッと、開《ひら》いて近よる者もない折から穴山梅雪《あなやまばいせつ》一手の剛者《つわもの》が、捕手に力をかして、からくも龍巻をしばりあげた。
「民蔵《たみぞう》、そのほうの奇策《きさく》はまんまと図《ず》にあたった。こなたより奉行所《ぶぎようしよ》へ密告《みつこく》したため、アレ見よ、沖《おき》でも、この通りなさわぎをしているわい……小きみよい悪党《あくとう》ばらの最後じゃ」
穴山梅雪は、帰館《きかん》すべくふたたびまえの駒《こま》にのって、持ってきた黄金をも取りかえし、武田伊那丸《たけだいなまる》をも手に入れて、得々《とくとく》と社頭から列をくりだした。
「手はじめの御奉公、首尾《しゆび》よくまいって、民蔵めも面目至極《めんもくしごく》です。殿のご運をおよろこびもうしあげます」
「ういやつだ。こよいから余《よ》の近侍《きんじ》にとり立ててくれる。伊那丸《いなまる》の縄《なわ》をとって、ついてこい」
いっぽう、捕手《とりて》にかこまれて、引ッ立てられた龍巻《たつまき》は、この態《てい》をみると、あたりの者をはねとばして、形相《ぎようそう》すごく、民蔵《たみぞう》のそばへかけよった。
「畜生《ちくしよう》。う、うぬはよくも、おれを裏切《うらぎ》りやがったな。一どは、縄《なわ》にかかっても、このまま、獄門台《ごくもんだい》に命を落とすような龍巻じゃねえぞ。きっとまたあばれだして、きさまの首をひンねじる日があるからおぼえていろ!」
「おお、心得た。だが、拙者《せつしや》は腕力は弱いから、その時には、また今夜のように、智恵《ちえ》くらべで戦おうわい」
久しぶりに、小幡民部《こばたみんぶ》らしい口調でこたえた民蔵は、子供の悪たれでも聞きながすように笑って、他の武士たちと同列に、梅雪《ばいせつ》の館《やかた》へついていった。