六
「ぶれい者、お供先《ともさき》に立ってはならぬ」
「あやしい女、ひッ捕《とら》えろ!」数人は、バラバラと前列のほうへかけあつまった。穴山《あなやま》の郎党《ろうどう》たちは、たちまち、押しかぶさって、ひとりの少女をそこへねじふせた。
「しばらくお待ちくださいまし。わたくしは、けっしてあやしい者ではありませぬ。穴山梅雪《あなやまばいせつ》さまのご通行を幸《さいわ》いに、お訴《うつた》えもうしたいことがあるのです」
「だまれ、ご道中でさようなことは、聞きとどけないわ、帰れッ」
と、家来どものののしる声を聞いて、駕籠の扉《とびら》をあけさせた梅雪は、
「しさいあり気《げ》な女子《おなご》じゃ。なんの願いか聞いて取らせる。これへ呼べ」と一同を制止した。
うるわしいお下髪《さげ》にむすび、帯《おび》のあいだへ笛をはさんだその少女《おとめ》は、おずおずと、梅雪の駕籠の前へすすんで手をついた。
「訴えのおもむきをいうてみい。また、このようなさびしい広野《ひろの》に、ただひとりおるそちは、いったい何者の娘だ」
「野武士の娘、咲耶子《さくやこ》ともうしまする。お訴えいたすまえに、おうかがいいたしたいのは、うしろの鎖《くさり》駕籠《かご》のなかにいるおかたです。もしや武田伊那丸《たけだいなまる》さまではございませんでしょうか」
「それを聞いてなんとする」
梅雪《ばいせつ》はおそろしい目を咲耶子《さくやこ》の挙動《きよどう》に注《そそ》ぎかけた。
けれど彼女は、むじゃきに咲《さ》いた野の花のよう、なんのおそれげもわだかまりもなく、あとのことばをさわやかにつづけた。
「まことは、まえに伊那丸さまから、ご大切な宝物《ほうもつ》とやらを、父とわたくしとで、お預《あず》かりもうしておりましたが、そのために、親娘《おやこ》の者が、ひとかたならぬ難儀《なんぎ》をいたしておりますゆえ、きょう、お通りあそばしたのを幸《さいわ》い、お返しもうしたいのでござります」
「ふーむ、して、その宝物《ほうもつ》とやらはどんな物だ」
「このさきの、五|湖《こ》の一つへ沈《しず》めてありますゆえ、どんな物かはぞんじませぬが、このごろ、あっちこっちの悪者がそれを嗅《か》ぎつけて、湖水の底をさぐり合っておりまする。なんでも石櫃《いしびつ》とやらにはいっている、武田《たけだ》さまのお家の宝《たから》だともうすことでござります」
「む、よう訴《うつた》えてきた。褒美《ほうび》はぞんぶんにとらすからあんないせい」
梅雪の顔は、思いがけない幸運にめぐり合ったよろこびにあふれた。——が、駕籠側《かごわき》にいた民蔵《たみぞう》は、サッと色をかえて、この不都合《ふつごう》な密告をしてきた少女を、人目さえなければ、ただ一《ひと》太刀《たち》に斬《き》ってすてたいような殺気をありありと目のなかにみなぎらせた。
行列はきゅうに方向を転《てん》じて、五湖の一つに沈んでいる宝物をさぐりにむかった。けれども、道案内《みちあんない》に立った咲耶子《さくやこ》は西も東もわからぬ広野《こうや》を、ただグルグルと引きずりまわすのみなので、一同は、道なき道につかれ、梅雪《ばいせつ》もようやくふしんの眉《まゆ》をひそめはじめた。
「民蔵《たみぞう》はいないか、民蔵」と呼びつけて、
「小娘《こむすめ》の挙動《きよどう》、だんだんと合点《がてん》がいかぬ。あるいは、野かせぎの土賊《どぞく》ばらが、手先に使っている者かも知れぬ、も一ど、ひッ捕《とら》えてただしてみろ」
「かしこまりました」
民蔵は得たりと思った。ばらばらと前列へかけ抜けてきて、いきなり、|むんず《ヽヽヽ》と咲耶子の腕首《うでくび》をつかんだ。
「小娘ッ」まことは甲州流兵法《こうしゆうりゆうへいほう》の達人《たつじん》小幡民部《こばたみんぶ》が、こういってにらんだ眼光は射《い》るようだった。
「なんでござりますか」
「さきほどからみるに、わざと、道なき野末《のずえ》へあんないしていくはあやしい。いったいどこへまいる気だ」
「知りませぬ、わたしは、ひとりで好きに歩いているのですから」
「だまれ、五湖へあんないいたすともうしたのではないか」
「だれが、穴山《あなやま》さまのような、けがらわしい犬侍《いぬざむらい》のあんないになど立ちましょうか」
「おのれ、さては野盗《やとう》の手引きか」
「いいえ、ちがいます」
「吐《ぬ》かすなッ。さらば何者にたのまれた」
「御旗楯無《みはたたてなし》の宝物が欲しさに、慾に目がくらんで、わたしのような少女にまんまとだまされた! オホホホホ……やッとお気がつかれましたか」
「おのれッ」
抜く手も見せず、民蔵《たみぞう》がサッと斬《き》りつけた切《き》ッ先《さき》からヒラリと、蝶《ちよう》のごとく跳《と》びかわした咲耶子《さくやこ》は、バラバラと小高い丘《おか》へかけあがるよりはやく、帯《おび》の横笛をひき抜いて、片手に持ったまま宙《ちゆう》へ高く、ふってふってふりまわした。
ああ! こはそもなに? なんの合図《あいず》。
それと同時に、ただいちめんの野と見えた、あなたこなたのすすきの根、小川のへり、窪地《くぼち》のかげなどから、たちまち、むくむくとうごきだした人影。
ウワーッと喊声《かんせい》をあげて、あらわれたのは四、五十人の野武士《のぶし》である。手に手に太刀《たち》をふりかざして、あわてふためく穴山《あなやま》一党《いつとう》のなかへ、天魔軍《てんまぐん》のごとく猛然《もうぜん》と斬《き》りこんだ。
ニッコと笑って、丘《おか》に立った咲耶子が、さッと一閃《いつせん》、笛をあげればかかり、二|閃《せん》、さッと横にふればしりぞき、三|閃《せん》すればたちまち姿をかくす——神変《しんぺん》ふしぎな胡蝶《こちよう》の陣。