二
スポーンと紅葉《こうよう》の茂《しげ》りへおちた梅雪《ばいせつ》のからだは、鞠《まり》のごとくころがりだして、土とともに、ゴロゴロと熊笹《くまざさ》の崖《がけ》をころがってきた。龍太郎《りゆうたろう》は、心得たりと引ッつかんで、さらに上なる人をあおぎながら、
「山県蔦之助《やまがたつたのすけ》どのとやら、まことにかたじけのうござった。そもいかなるお人かぞんじませぬが、おことばに甘えて初見参《ういげんざん》のお引出《ひきで》もの、たしかにちょうだいつかまつった。お礼《れい》は伊那丸《いなまる》さまの御前にまいったうえにて」
「拙者《せつしや》もすぐあとよりつづきますゆえ、なにぶん、君へのお引合わせを」
「委細承知《いさいしようち》、はや、まいられい!」
ヘトヘトになった梅雪を小わきにかかえた龍太郎は、さっき乗りすててきた駒《こま》のところへと、いっさんにかけおりていった。
と、同時に、上からも身軽《みがる》にヒラリヒラリと飛びおりてきた蔦之助。
龍太郎は、黒鹿毛《くろかげ》にまたがって、鞍壺《くらつぼ》のわきへ、梅雪をひッつるし、一鞭《ひとむち》くれて走りだすと、山県蔦之助も、遅《おく》れじものと、つづいていく。
一ぽう、白旗《しらはた》の宮《みや》の前では、穴山《あなやま》の郎党《ろうどう》たちは、すでにひとりとして影を見せなかった。そこには凱歌《がいか》をあげた忍剣《にんけん》、小文治《こぶんじ》、民部《みんぶ》、咲耶子《さくやこ》などが、あらためて、伊那丸を宮の階段《かいだん》に腰かけさせ、無事をよろこんでほッと一息ついていた。人々のすがたはみな、紅葉《もみじ》を浴《あ》びたように、点々の血汐《ちしお》を染《そ》めていた。勇壮といわんか凄美《せいび》といわんか、あらわすべきことばもない。
なかでも忍剣《にんけん》は、疲れたさまもなく、なお、綽々《しやくしやく》たる余裕《よゆう》を禅杖《ぜんじよう》に見せながら、
「木《こ》ッ葉《ぱ》武者はどうでもよいが、当《とう》の敵たる穴山入道《あなやまにゆうどう》を討《う》ちもらしたのは、かえすがえすもざんねんであった。いったいきゃつはどこにうせたか」
「たしかにここで拙者《せつしや》が一太刀くれたと思いましたが」
と小幡民部《こばたみんぶ》も、無念《むねん》なていに見えたけれど、伊那丸《いなまる》はあえて、もとめよともいわず、かえって、みなが気のつかぬところに注意をあたえた。
「それはとにかく龍太郎《りゆうたろう》のすがたが、このなかに見えぬようであるが、どこぞで、傷手《いたで》でもうけているのではあるまいか」
「お、いかにも龍太郎どのが見えぬ」
一同は入りみだれて、にわかにあたりをたずねだした。すると、咲耶子《さくやこ》は耳ざとく駒《こま》の蹄《ひづめ》を聞きつけて、
「みなさまみなさま。あなたからくるおかたこそ龍太郎さまにそういござりませぬ。オオ、なにやら鞍《くら》わきにひッつるして、みるみるうちにこれへまいります」
「や! ひッさげたるは、たしかに人」
「穴山梅雪《あなやまばいせつ》?」
「オオ、梅雪をつるしてきた」
「龍太郎《りゆうたろう》どの手柄《てがら》じゃ、でかしたり、さすがは木隠《こがくれ》」
口々にさけびながらかれのすがたを迎えさわぐなかにも、忍剣《にんけん》は、ほとんど児童《わらべ》のように狂喜《きようき》して、あおぐように手をふりながらおどりあがっている——と見るまに、それにもどってきた龍太郎は、どんと一同のなかへ梅雪《ばいせつ》をほうりやって、手綱《たづな》さばきもあざやかに鞍《くら》の上から飛びおりた。
「それッ」
待ちかまえていた一同の腕は、期《き》せずして、梅雪のからだにのびる。いまはいやも応《おう》もあらばこそ、みにくい姿をズルズルと伊那丸《いなまる》のまえへ引きだされてきた。
民部《みんぶ》は、その襟《えり》がみをつかんで、
「入道ッ、面《おもて》をあげろ」と、いった。
「むウ……ム、残念だッ」
穴山梅雪《あなやまばいせつ》は眉間《みけん》を一《ひと》太刀《たち》割られているうえに、ここまでのあいだに、いくどとなく投げられたり鞍壺《くらつぼ》にひッつるされたりしてきたので、この世の者とも見えぬ顔色になっていた。