四
いつまで見送って、たがいに歯がみしていたところで及ばぬことと、忍剣《にんけん》は一同をはげました。そして、そこにたおれている、伊那丸《いなまる》と咲耶子《さくやこ》とに、手当《てあて》を加えた。
さいわいに、ふたりはさしたる重傷《ふかで》を受けていたのではなかった。けれど、やがて気がついてから、賊将《ぞくしよう》、呂宋兵衛をとり逃がしたと知って、無念がったことは、ほかの者より強かった。ことに、伊那丸は父ににて勝気《かちき》なたち。
「かれらの策《さく》におちて、おくれをとったときこえては、のちの世まで武門の名おれ。わしはどこまでも、呂宋兵衛のいくところまで追いつめて、かれの首を見ずにはおかぬ。民部《みんぶ》、止《と》めるなッ」
いいすてるが早いか、馬の鞍《くら》つぼをたたいて、まっしぐらに走りだした。と咲耶子も、
「お待ちあそばせや、伊那丸さま。人穴《ひとあな》の殿堂は、この咲耶子が空《そら》んじている道、踏みやぶる間道《かんどう》をごあんないいたしましょうぞ」
手綱《たづな》をあざやかに、ひらりと駒《こま》におどった武装《ぶそう》の少女は一鞭《ひとむち》あてるよと見るまに、これも、伊那丸にかけつづいた。
ことここにいたっては、思慮《しりよ》ぶかい小幡民部《こばたみんぶ》も、もうこれまでである、いちかばちかと、決心して、
「加賀見忍剣《かがみにんけん》どの。木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》どの」
と声高らかに呼ばわった。
「おお」
「おおう」
「そこもとたちふたりは、若君の右翼左翼《うよくさよく》となり、おのおの二十名ずつの兵を具《ぐ》して、おそばをはなれず、ご先途《せんど》を見とどけられよ、早く早く」
「かしこまッた」
軍師《ぐんし》に礼をほどこして、ふたりは馬に鞭《むち》をくれる。
「つぎに山県蔦之助《やまがたつたのすけ》どの。巽小文治《たつみこぶんじ》どの」
「おう」
「おう」
「ご両所たちは搦手《からめて》の先陣。まず小文治どのは槍組《やりぐみ》十五名の猛者《もさ》をつれて、人穴《ひとあな》の殿堂よりながれ落ちている水門口をやぶり、まッ先に洞門《どうもん》のなかへ斬りこまれよ」
「心得《こころえ》た」
小文治《こぶんじ》は朱柄《あかえ》の槍《やり》をひッかかえて、十五名の力者《りきしや》をひきつれ、人穴をさして、たちまち草がくれていく。
「さて蔦之助《つたのすけ》どの、そこもとは残る十七名の兵をもって、一隊の弓組《ゆみぐみ》をつくり、殿堂をかこい嶮所《けんしよ》に登って廓《くるわ》のなかへ矢を射《い》こみ、ときに応《おう》じ、変にのぞんで、奇兵《きへい》となって討ちこまれい!」
「承知《しようち》いたしました」
「拙者《せつしや》は、のこりの者とともに後詰《ごづめ》をなし、若君の旗本、ならびに、総攻めの機《き》をうかがって、その時ごとに、おのおのへ合図《あいず》をもうそう。さらばでござる」
軍配《ぐんばい》のてはずを、残りなくいいわたした民部《みんぶ》は、ひとりそこに踏《ふ》みとどまり、人穴攻《ひとあなぜ》めの作戦|図《ず》を胸にえがきながら、無月《むげつ》の秋の空をあおいで、
「敗るるも勝つも、小幡民部《こばたみんぶ》の名は、おしくもなき一|介《かい》の軍配《ぐんばい》とりじゃ。しかし……しかし伊那丸《いなまる》さまは大せつな甲斐源氏《かいげんじ》の一粒種《ひとつぶだね》、あわれ八幡《はちまん》、あわれ軍《いくさ》の神々、力わかき民部の采配《さいはい》に、無辺《むへん》のお力をかしたまえ」
正義の声は、いつにあっても、だれの口からほとばしっても、ほがらかなものである。