四
安土《あづち》の山は焼け山だ。
安土の城も半分は焼けくずれている。
岩は赭《あか》くかわき、石垣はいぶり、樹木の葉は、みなカラカラ坊主《ぼうず》になって黒い幹《みき》ばかりが立っていた。
その石段を、ぴょい、ぴょい、ぴょい。まるでりすのようなはやさでかけのぼっていったのは、竹《たけ》ノ子笠《こがさ》に道中合羽《どうちゆうがつぱ》をきて旅《たび》商人《あきんど》にばけた丹羽昌仙の密使、早足《はやあし》の燕作《えんさく》だ。
中途《ちゆうと》でちょっと小手をかざし、四方をながめまわして、
「ああ変るものだなあ。戦国の世の中ほど、有為転変《ういてんぺん》のはやいものはない。どうだい、ついこの夏までは、右大臣織田信長《うだいじんおだのぶなが》の居城《きよじよう》で、この山の緑《みどり》のなかには、すばらしい金殿玉楼《きんでんぎよくろう》が見えてよ、金の鯱《しやち》や七|重《じゆう》のお天主《てんしゆ》が、日本中をおさえてるようにそびえていた安土城《あづちじよう》だ。それが、たった一日でこのありさま。おもえば明智光秀《あけちみつひで》という野郎《やろう》も、えらい魔火《まび》をだしやあがったものだなア……」
燕作《えんさく》でなくても、ひとたびここに立って、一|朝《ちよう》の幻滅《げんめつ》をはかなみ、本能寺変《ほんのうじへん》いらいの、天下の狂乱をながめる者は、だれか、惟任《これとう》日向守《ひゆうがのかみ》の大逆《たいぎやく》をにくまずにいられようか。
けれど、その光秀《みつひで》じしん、悪因悪果《あくいんあつか》、土寇《どこう》の竹槍《たけやり》にあえない最期《さいご》をとげてしまった。で、いまではこの安土城《あづちじよう》のあとへ、信長《のぶなが》の嫡孫《ちやくそん》、三法師丸《さんぼうしまる》が清洲《きよす》からうつされてきて、焼けのこりの本丸《ほんまる》を修理し、故《こ》右大臣家《うだいじんけ》の跡目《あとめ》をうけついでいる。
だが、三法師君は、まだきわめて幼少であったため、もっぱら信長の遺業《いぎよう》を左右し、後見人《こうけんにん》となっている者はすなわち、ここ、にわかに大鵬《たいほう》のかたちをあらわしてきた左少将羽柴秀吉《さしようしようはしばひでよし》。——つまり、早足《はやあし》の燕作《えんさく》が、はるばる尋ねてきたその人である。
「おっと、見物は帰りみちのこと、なにしろ役目を果さないうちは気が気じゃない……」
と燕作は、ふたたび笠《かさ》の|ふち《ヽヽ》をおさえながら、一|散《さん》に石段から石段をかけのぼっていくと、
「こらッ」
といきなり合羽《かつぱ》の襟《えり》をつかまれた。
「へ、へい」
とびっくりしてふりかえると、具足《ぐそく》をつけた侍《さむらい》——いかにも強そうな侍だ。
槍《やり》の石突《いしづ》きをトンとついて、
「どこへいく? きさまのような町人がくるところじゃない。もどれッ」
とにらみつけた。
すると、焼《や》け崩《くず》れの土塀《どべい》のかげからさらに、りっぱな武将が四、五人の足軽《あしがる》をつれて見廻りにきたが、この|てい《ヽヽ》を見ると、つかつかとよってきて、
「才蔵《さいぞう》、それは何者じゃ」
とあごでしゃくった。
「ただいま、取り調べているところでござります」
「うむ、お城のご普請中《ふしんちゆう》をつけこんで、雑多《ざつた》なやつがまぎれこむようすじゃ。びしびしと締《し》めつけて白状《はくじよう》させい」
燕作《えんさく》はおどろいた。
そのびしびしのこないうちにと、あわてて密書《みつしよ》を取りだし、
「もしもし、わたくしはけっしてあやしい人間じゃあございません。この通り秀吉《ひでよし》さまへ大事なご書面を持ってまいりましたもの、どうぞよろしくお取次《とりつ》ぎをねがいます。へい、これでございます」
「どれ」
武将は受けとって、と見、こう見、やがて、うなずいてふところに入れてしまった。
「よろしい。帰っても大事ない」
「へい……」
燕作《えんさく》はもじもじして、
「ですが、しつれいでございますが、あなたさまはいったい、どなたでござりましょうか、お名まえだけでもうかがっておきませんと、その……」
「それがしは秀吉公《ひでよしこう》の家臣、福島市松《ふくしまいちまつ》だわ」
「あ、正則《まさのり》さま」
と、燕作はとびあがって、
「それなら大安心、これでわたくしの荷《に》も降《お》りたというわけ。ではみなさんごめんなさいまし、さようなら」
いま、ツイそこでおじぎをしていたかと思うまに、もう燕作のすがたは、松の樹《こ》がくれに小さくなって、琵琶湖《びわこ》のほうへスタコラと歩いていた。
「おそろしい足早《あしばや》な男もあるもの——」
福島正則は、家来の可児才蔵《かにさいぞう》と顔をあわせて、しばし、あきれたように竹ノ子|笠《がさ》を見送っていた。