三
ピキ ピッピキ トッピキピ
おなかがへッて北山《きたやま》だ
芋《いも》でもほッて食《く》うべえか
芋泥棒《いもどろぼう》にゃなりたくない
鳶《とんび》を捕《と》ッて食《く》うべえか
ヒョロヒョロ泣かれちゃ喰《た》べかねる
そんなら雪でも食《く》ッておけ
富士の山でもかじりてえ
ピキ ピッピキ トッピキピ
だれだろう? そも何者だろう? こんなでたらめなまずい歌を、おくめんもなく、大声でどなってくるものは。
この村には、家はならんでいるが、ほとんど人間はいなくなっているはず。五湖、裾野《すその》、人穴《ひとあな》、いたる所ではげしい斬り合があったり、流れ矢が飛んできたりしたため、善良な村の人たちは、すわ、また大戦の前駆《ぜんく》かと、例によって、甲州の奥ふかく逃げこんだ。
それゆえ、秋の日和《ひより》だというのに、にわとりも鳴かず、杵《きね》の音《おと》もせず、あわれにも閑寂《かんじやく》をきわめている。いま聞こえたへたくそな歌も、一つはこのせいで、いっそう、素《す》ッ頓狂《とんきよう》にもひびいてきこえる。
「やア、こいつア、こいつアこいつア|うまい《ヽヽヽ》ものがあらあ——」
こんどは地声《じごえ》で、人なき村のある軒先《のきさき》に立ち——こういったのは竹童《ちくどう》である。
かれが、目の玉をクルクルさせ、よだれをたらして見あげたのは、大きな柿《かき》の木であった。上には枝もたわわに、まだ青いのや、赤ずんできた猿柿《さるがき》が、七|分《ぶ》三|分《ぶ》にブラさがっている。
「こッちの端《はし》にある赤いやつはうまそうだなあ。取っちゃあ悪いかしら? かまわないかしら……?」
いつまでも立って考えている。この姿を、果心居士《かしんこじ》が見たら、なんとあきれるだろう。
口に葉ッぱをくわえているところを見ると、いま、木《こ》の葉笛《はぶえ》を吹きながら、へんなでまかせを歌ったのもこの竹童にそういない。いったいこの子は、お師匠《ししよう》さまからいいつけられている計略《けいりやく》なんか、とっくにドコかへ忘れてしまっているのではないかしら、第一きょうはかんじんな、かの昇天雲《しようてんうん》である鷲《わし》にも乗っていない。
「いいや、いいや。一ツや二ツくらいとってかまうもんか。柿《かき》なんか、ひとりでに、地|べた《ヽヽ》から生《は》えてるものなんだ。これを取ったッて、泥棒《どろぼう》なんかになりゃしない」
勝手《かつて》なりくつをかんがえて、ぴょいと、木へ飛びつくと、これはまたあざやかなもの。なにしろ、本場《ほんば》鞍馬《くらま》の山で鍛《きた》えた木のぼり。するッと上がって、一番赤い柿《かき》のなっている枝先へ、鳥のようにとまッてしまった。
「べッ、しぶいや」
びしゃッと下へたたきすてる。
「ありがたい——」
次のは甘かったと見える。もう口なんかきいていない。猿《さる》のようにカリカリ音をさせて頬《ほお》ばり、たねだけを下へはきだしている。
「甘いなあ、これで一|霜《しも》かかればなお甘いんだ。おいらばかり食《た》べているのはもったいない、お師匠《ししよう》さまにも一つ食《た》べさせてあげたいな……」
食《く》うに専念《せんねん》、ことばはブツブツ噛《か》みつぶれた寝言《ねごと》のようだ。このぶんなら、まだ十や十五は食《く》えそうだという顔でいると、どうしたのか竹童《ちくどう》、時々、チクリ、チクリと、変に顔をしかめだした。
「ア痛《いた》!」と粘《ねば》った手で頬《ほ》っぺたをおさえた。
が、またすぐ食《く》う。
木を降りるのもおしいようす。と、一口かじりかけると、またチクリ。
「ちぇッ」と舌《した》うちして襟《えり》くびをなでた。こんどは大へん、なでた手がチクリと刺された。
「なんだろう、さっきから——」
そッとさぐってみると、こいつはふしぎ、針だ、キラキラする二|寸《すん》ばかりの女の縫針《ぬいばり》。
「あッ!」
そのとたんに、竹童はおもわず肱《ひじ》をまげて顔をよけた。まえの萱葺屋根《かやぶきやね》の家から、射《い》るようなするどい目がキラッとこちらへ光った。
「降《お》りろ、小僧《こぞう》!」
見ると、百姓家《ひやくしようや》のやぶれ廂《びさし》の下から、白い煙がスーッとはいあがっている。そこには、ひとりのお婆《ばあ》さん、麻《あさ》のような髪《かみ》をうしろにたれ、鍋《なべ》や、糸かけを前に、腰をかけて、繭《まゆ》を煮《に》ながら、湯のなかの白い糸をほぐしだしている。