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神州天馬侠97

时间: 2018-11-30    进入日语论坛
核心提示:死地におちた雨ケ岳    四 初対面《しよたいめん》のあいさつや、陣中の見舞《みま》いなどをのべおわってのち、八風斎《は
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 死地におちた雨ケ岳
 
    四
 
 初対面《しよたいめん》のあいさつや、陣中の見舞《みま》いなどをのべおわってのち、八風斎《はつぷうさい》は、れいの秘図《ひず》をとりだし、主人|勝家《かついえ》からの贈《おく》り物として、うやうやしく、伊那丸《いなまる》の膝下《しつか》にささげた。
 が、なぜか、伊那丸は、よろこぶ色はおろか、さらに見向きもしないで、|にべ《ヽヽ》なくそれをつッかえした。
「ご好意はかたじけないが、さようなものはじぶんにとって欲《ほ》しゅうもない。持ちかえって、柴田《しばた》どのへお土産《みやげ》となさるがましです」
「は、心得ぬ仰《おお》せをうけたまわります。主人|勝家《かついえ》こそははるかに御曹子《おんぞうし》のお身《み》の上《うえ》をあんじている、無二のお味方、人穴城《ひとあなじよう》をお手にいれたあかつきは、およばずながらよしみをつうじて、ご若年《じやくねん》のお行《ゆ》く末《すえ》を、うしろだてしたいとまでもうしております。……なにとぞ、おうたがいなくご受納《じゆのう》のほどを」
「だまれ、八風斎!」
 はッたとにらんだ伊那丸は、にわかにりんとなって、かれの胸をすくませた。
「いかに、汝《なんじ》が、懸河《けんが》の弁《べん》をふるうとも、なんでそんな甘手《あまて》にのろうぞ。この伊那丸に恩義を売りつけ、柴田が配下に立たせよう計《はか》りごとか、または、後日《ごじつ》に、人穴城をうばおうという汝らの奸策《かんさく》、この伊那丸は若年《じやくねん》でも、そのくらいなことは、あきらかに読めている」
「うーむ……」
 うめきだした八風斎《はつぷうさい》の顔は、見るまにまッさおになって、じッと、伊那丸《いなまる》をにらみかえして、眼《め》もあやしく血走ってくる。
「益《えき》ないことに暇《ひま》とらずに、汝《なんじ》も早々《そうそう》、北越《ほくえつ》へひきあげい。そして、勝家《かついえ》とともに大軍をひきい、この裾野《すその》へでなおしてきたおりには、またあらためて見参《げんざん》するであろう。そちの大事がる図面とやらも、そのとき使うように取っておいたがよい」
 深くたくらんだ胸のうちも、完全に見やぶられた八風斎は、本性《ほんしよう》をあらわして、ごうぜんとそりかえった。
「なるほど、さすが信玄《しんげん》の孫《まご》だけあって、その眼力《がんりき》はたしかだ。しかしわずか七十人や八十人の小勢《こぜい》をもって、人穴城《ひとあなじよう》がなんで落ちよう。敵はまだそればかりか、呂宋兵衛《るそんべえ》にもましておそろしい大敵が、すぐ背後《うしろ》にもせまっているぞ。悪いことはすすめぬから、いまのうちに柴田家《しばたけ》の旗下《きか》について、後詰《ごづめ》の援兵《えんぺい》をあおぐが、よいしあんと申すものじゃ」
「だまれ。よしや伊那丸ひとりになっても、なんで、柴田づれの下風《かふう》につこうや、とくかえれ、八風斎!」
「ではどうあっても、柴田家にはつかぬと申しはるか、あわれや、信玄の孫どのも、いまに、裾野に屍《かばね》をさらすであろうわ、笑止《しようし》笑止」
 毒口《どくぐち》たたいて、秘図《ひず》をふところにしまいかえした八風斎、やおら、伊那丸のまえをさがろうとすると、面目《めんもく》なげにうつむいていた忍剣《にんけん》と小文治《こぶんじ》が、左右から立って、
「若君にむかってふらちな悪口《あつこう》、よくもわれわれ両人をだましおったな!」
 と、猿臂《えんぴ》をのばして、八風斎のえりがみをつかもうとしたとき、
「方々《かたがた》! 方々! 敵の大軍が見えましたぞッ」
 にわかに起ったさけび声、陣のあなたこなたにただならぬどよみ声、伊那丸《いなまる》も咲耶子《さくやこ》も、民部《みんぶ》も蔦之助《つたのすけ》も、思わずきッと突っ立った。
「それ見たことか、はやくも地獄《じごく》の迎えがきたわッ!」
 さわぎのすきに、すてぜりふの嘲笑《ちようしよう》をなげながら、疾風《しつぷう》のように逃げだした上部八風斎《かんべはつぷうさい》。
 忍剣と小文治が、なおも追わんとするのを伊那丸はかたく止《と》めて、かれのすがたを見送りもせず、
「小さき敵に目をくるるな、心もとない大軍の出動とやら、だれぞ、はようもの見せい!」
「はい、かしこまりました」
 こたえた声音《こわね》は意外にやさしい、だれかとみれば、伊那丸のそばから、蝶《ちよう》のように走りだしたひとりの美少女、いうまでもなく咲耶子である。
 見るまに、物見《ものみ》の松の高きところによじのぼって、梢《こずえ》にすがりながら、片手をかざし、
「オオ、見えまする! 見えまする!」
「して、その敵のありどころは」
 松の根方《ねかた》から上をあおいで、一同がこたえを待つ。
 上では、緑の黒髪を吹かれながら、咲耶子《さくやこ》の声いっぱい。
「天子《てんし》ケ岳《たけ》のふもとから、南すそのへかけて、まんまんと陣取ったるが本陣と思われまする。オオ、しかも、その旗印《はたじるし》は、徳川方《とくがわがた》の譜代《ふだい》、天野《あまの》、内藤《ないとう》、加賀爪《かがづめ》、亀井《かめい》、高力《こうりき》などの面々」
「やや、では呂宋兵衛《るそんべえ》が人穴城《ひとあなじよう》をでたのではなかったか。してして軍兵《ぐんぴよう》のかずは?」
「富士川もよりには、和田《わだ》、樋之上《ひのかみ》の七、八百|騎《き》、大島峠《おおしまとうげ》にも三、四百余の旗指物《はたさしもの》、そのほか、津々美《つつみ》、白糸《しらいと》、門野《もんの》のあたりにある兵をあわせておよそ三千あまり」
「その軍兵は、こなたへ向かって、すすんでくるか?」
「いえいえ、満《まん》を持《じ》してうごかぬようす、敵の気ごみはすさまじゅう見うけられます」
 咲耶子の報告がおわると、物見《ものみ》の松のしたでは、伊那丸《いなまる》と軍師《ぐんし》を中心にして、悲壮な軍議がひらかれた。まえには、人穴城の強敵あり、うしろには徳川家《とくがわけ》の大軍あり、雨《あま》ケ岳《たけ》は、いまやまったく孤立無援《こりつむえん》の死地におちた。
 おそらくは、主従《しゆじゆう》の軍議もこれが最後のものであろう。軍議というも、守るも死、攻むるも死、ただ、その死に方の評定《ひようじよう》である。
 時は、たそがれ刻《どき》か、あるいは、宵《よい》か夜中か明け方か、いずれにせよ、闇でも花とちる身《み》にはかわりがない。
 こい! 徳川勢《とくがわぜい》——。
 伊那丸方《いなまるがた》の面々《めんめん》は、馬には飼糧《かいば》、身には腹巻をひきしめて、雨《あま》ケ岳《たけ》の陣々に鳴りをしずめた。
 そのころ、人穴城《ひとあなじよう》の望楼《ぼうろう》のうえにも、三つの人影があらわれた。大将|呂宋兵衛《るそんべえ》に、軍師《ぐんし》丹羽昌仙《にわしようせん》、もうひとりは客分の可児才蔵《かにさいぞう》。三人は、いつまでも暮れゆく陣地をながめわたして、なにやら密議に余念がない。心なしか、こよいはことに砦《とりで》のうえに、いちまつの殺気がみち満ちていた。
 
 富士《ふじ》はくれゆく、裾野《すその》はくれる。
 きょうで四日目の陽《ひ》は、まさに沈もうとしているのに小太郎山《こたろうざん》へむかって、駿馬項羽《しゆんめこうう》をとばせた木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》はそも、どこになにしているのだろう。
 かれは、よもや雨《あま》ケ岳《たけ》にのこした伊那丸の身や、同志の人々を忘れはてるようなものではけっしてあるまい。いや、断じてないはずの人間だ。それだのに、晩秋の靄《もや》ひくくとぶ鳥はみえても、駿馬項羽にまたがったかれのすがたが、いつまでも見えてこないのはどうしたわけだ?
 人無村《ひとなしむら》で、とんだ命《いのち》びろいをしたッきり、白旗《しらはた》の森《もり》のおくへもぐりこんでしまった竹童《ちくどう》も、ほんとに、頭脳《あたま》がいいならば、いまこそどこかで、
「きょうだぞ、きょうだぞ、さアきょうだぞ」
 と叫《さけ》んでいなければならないはず。
 お師匠《ししよう》さまの果心居士《かしんこじ》から、こんどこそ、やりそこなったら大へんだという秘命《ひめい》を、とっくのまえからさずけられている竹童《ちくどう》が、その、一生いちどの大使命をやる日はまさにきょうのはずだ。
 ところが、きのうあたりから、あの蛾次郎《がじろう》が、団子《だんご》や焼餅《やきもち》などをたずさえて、チョクチョク白旗の森にすがたを見せ、竹童のごきげんとりをやりだしたのも奇妙《きみよう》である。
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