三
まさかと思っていた縁談を、叔父は、足を惜しまず運んでいた。一月後には、もう、見合いをせいと云うのだった。
庄次郎は、驚いて、
「嫁などは、まだ——」
と、受けつけない返辞をしたが、叔父の鉄之丞は、
「何が、まだじゃ。カビが生えるぞよ」
と、これも、庄次郎の生返辞《なまへんじ》を、うけつけない。
「二十七にもなって、女が、欲《ほ》しゅうないなどと云っても、わしは、うなずかん。持て、持て、八十三郎も後口《あとくち》にひかえているに、貴様が、いつまで、部屋住《へやずみ》では困る」
「よく考えまして」
「馬鹿じゃの、妻をもち、一家をなし、子孫の計をする、人倫の大道じゃないか。考えることがいるか。痩《や》せ我慢するな」
「我慢では、ございませんが」
「いつまで、独身でいると、そういう風に、卑屈になる。女が欲しいと、なぜ云わん。ま、わしにまかせろ」
と、いったような調子で、いや応、云わせないし、事実、庄次郎も、女の欲しいことは山々だったので、
「では、何分」
我《が》を折ると、
「娶《もら》うか。よしよし。善は、いそげだ、早速がいいぞ。先方は、いつでも、見合いをすると云うが、何日《い つ》がいいかの」
「見合いには、及びません。叔父上のお目鑑《めがね》で」
「そうはいかん。見て、損はないぞ」
「娶うと、決めた以上は」
「後になって、不服は云わぬか」
「申しませぬ」
「ならば……よかろう。いや、貴様も、存外、偉いところがある。女房など、見て、わかるものじゃなし、娶ったが勝負、籤《くじ》をひくも同じこった。じゃ、わしが何もかも一任されよう」
話は早い。
そういうことにかけて、半町人肌の叔父は、気さくで、親切で、苦労人だった。
結納《ゆいのう》、日どり、すらすらと運んで、婚礼は、すず風の立ち初《そ》める、秋の九月と決まった。
弟の八十三郎が、時々、外から何か聞き囓《かじ》って来ては、
「兄上、照子どのは、千蔭流《ちかげりゆう》の書もよく書くし、薙刀《なぎなた》も、だいぶ習ったそうです。それに、何よりは、淑《しと》やかな婦人だそうですから、きっと、お気にいるに違いない。お楽しみですな」
などと、兄のこのごろの無口を、善意に、揶揄《からか》ったりした。
だが、庄次郎の無口は、決して、衒《てら》いではなかった。待ち遠しくも、欣《うれ》しくもないのである。そして、一日ごとに板新道のお喜代の姿が、胸の中で、呼吸しているように、育っていた。
気のすすまない婚礼が、もう明日《あした》に迫っていた。その取混《とりこ》みの中に、
「若旦那、お手紙でございます」
庭ごしに、飛脚屋から受け取ったのを、中間の重助が、窓口から手をのばして、机に、ぽかんと、頬杖《ほおづえ》をついている彼の前へさし出した。
手紙は、二ほん。
一通は、渋沢栄一からの御直披《ごちよくひ》とある厳《いかめ》しい書面だった。
中を見ないうちから、
(来たな! 金の催促だ)
はたと、当惑して、そのできない算だんに混濁した頭脳《あたま》のまま、逃げるように、手は、もう一通の方の封を、先に、切っていた。
ひらいてみる。
これは、やさしい女文字で、短い走り書の末に、
——板じん道にて、お蔦。
「ちっ」
二つの忌々《いまいま》しさを見較べて、庄次郎は、鉛みたいな顔をした。せめて、片方の名が、お喜代とでもあったら、このごろの不愉快な日は、いくらか、慰められるだろうにと、思ったりした。