故・川端康成がノーベル賞を受けたとき、故・伊藤整と奥野健男と三人でテレビに出て、一時間川端文学について話し合った。
以来はじめてテレビに出たことになるから、五年ぶりである。
私は「テレビに出るのは嫌い」と称していて、それはウソではないが、百パーセント嫌いではない。五年に一度でも出るのは、九十パーセントくらいの厭《いや》さ加減ということになる。
私がテレビに出ないのは、四つの理由がある。それは省略するが、理由があるということは、論理的に嫌いな部分もあるわけだ。
これが講演となると、論理もなにもなく、ひたすら生理的に厭なので、どんなに義理があっても断わってしまう。毎年、秋になると、あちこちの学校から講演依頼がくる。なかには「センセイのお仕事には、常日頃注目しております」などお世辞のよい文面があって、これがガリ版刷りになっている。
名前のところだけ、ペンで書くようなシカケになっていたりする。
その名前がしばしば間違っていて、「介」が「助」になっている。柴田錬三郎先輩は、「錬」が「練」になることがあるらしい。甚だしいときは、紫田練三郎となっていた、という。
「ムラサキダネリサブローと書いてきたやつがいる」
と、渋い顔で言っていたことがある。
こういうときには、
「これはおれではない」
と呟《つぶや》いて、中身も見ずに破り捨てるのだそうだ。間違えられること自体不愉快だが、私の場合、「助」となると全体の文字のバランスがひどく悪くみえる。一番上の「吉」という字の劃数がすくないので、一番下が字劃が多いと落着かなくなる。
「織田作之助」の場合は、その正反対の例で、これは「介」よりも「助」のほうが安定がよい。
こういうのは、そのまま破り捨てればよいが、丁寧な文章が印刷でなくて書いてあって、返信用封筒が入っていたりすると困る。
返事を書くのも面倒くさいので、甚だ困る。さいわい、夕刊フジのこの欄の前の執筆者であるシバレン先輩が、都合のよいことを書いてくれた。
「話術について」という回に、『ヨシユキは、たった一度も講演をやったことはない』という文章があった。さっそくそれを沢山コピイに取って、そういう依頼がくると返信用封筒に入れてポストに入れている。
今年からは、この回をコピイに取っておいて、送ることにする。
映画が落目になってかなりの時が経ち、数年前ある撮影所へ行ってみると、西部劇に出てくるゴースト・タウンのような様相を呈していた。テレビは、いまある意味で時代の花形といえる。テレビに出られないうちは、まだダメと考える風潮が世間にできている。電話でテレビの出演依頼を受けたとき、
「テレビには出ないことにしています」
と答えると、
「えっ、テレビに出ない」
と、真底おどろいたような、「せっかくチャンスを与えてやっているのに」という声を出す人物もいる。こういう人物のいるテレビ局には行きたくないのも理由の一つで、そうなると不出演の理由は五つになる。
しかし、前の四つの内容は書かないのだ。