紅茶とトーストの朝食(たまには、コーヒーのこともあるが)を摂っているとき、このごろの私はまた新聞をひろげるようになった。もっとも、見出しくらいしか眺めないで、とくに関心を惹《ひ》く記事があるときには部屋へ戻ってからゆっくり読む。
ただ、東京新聞のテレビ・ラジオの頁の片隅に、「運勢」の欄があって、ここは読む。手相・人相・占星術・トランプ占いなどは、人生の香辛料であって、使い方によっては味わいを増す点もあるが、信じ過ぎるのは愚かなことである。カレー粉だけのカレーライスを食べたとしたら、胃がひっくり返る。
この七年くらい毎日この運勢の欄を見ているが、一度として同じ文句に出会ったことがない。「松雲庵主」という雅号がついていて、どういう資料を使っているか知らないし、どういう人かも知らないが、その文句にも奇妙な味がある。当る当らないについては無関心で、その文章の按配を愉しんで愛読している。
ある日、私の干支《えと》である「ね年」の項目に、「猿樹上にありて大いに威張るの象《かたち》」というのがあった。さっそく「さる年」の阿川弘之に電話して、
「いいことを教えてやる。今日おれとギャンブルをやると、かならず勝つぞ。そう占いに出ておる」
とその占いのことを話すと、さっそく現れた。その日、私が大勝したので、以来電話して、
「今日の占いはな……」
というと、うんざりした声で答える。
「もういい、そのテはくわない」
松雲庵主に聞けば、それは占いの言葉の解釈の謬《あやま》りである、と答えるだろうが、この人の異才には感心している。
数年間にわたって、とくに趣のある文章のときは切り抜いておいたので、紹介したい。自分自身に関する記事を切り抜くことはあるが、それ以外のものを保存することは稀《まれ》である。
『桃太郎のダンゴ味無しの象にて食難あり、飲みすぎ食べすぎ注意』
『番犬にほえられ腹立つ意あり、心の穏やかなものは畜獣もなつく』
『墓地に寝たるような夢を見る、これ先祖の供養をおこたる知らせ』
『二匹のネコが一匹のネズミと争いて、お互いに傷つかぬ様』
この文句は、「一匹のネズミを」の誤植かもしれない。そのほうが話の筋が通るが、ネズミが一匹で二匹のネコを相手に喧嘩して、引分けになったという卦《け》と考えたほうが、その非論理的なところに味がある。
『カラスの群れなんじを見て笑う、とんまな事に手を出すなとの意あり』
『野球したるが雨やまず勝負定まりがたし、運を天に任せ一心に』
『コウシンコウシンと解りますか、口を慎めと天神知らす』
『青薫青また青の絶景にいでた象、売買旅行吉』
『二日酔いでふらふら腰の象、諸事手につかず天理にもとる』
『草木はなはだ枯骨なる象にて、運不順なるも悠々淡々として世を渡れ』
毎日こんな面白いものばかりあるわけではない、数年にわたって私が苦心研究して蒐集した言葉を並べた。
最後に、愛読してくださった皆さんに、とくに縁起の良いのを二つ贈る。
『千客万来商売繁盛あらあらうれし、尚その上善根をつめ』
『梵音《ぼんおん》天地にとどろきて天神天女ひらりひらりと舞い来る善日』