健康がだいぶ回復したので、うっかり用件を増やしているうちに、収拾がつかなくなった。
原稿なら家で書けばいいのだが、文字を書くほうは夕刊フジで手一杯なので、その替りに対談の類を引受けてしまう。仕事の打合わせに絡んだものや、個人的な話し合いの会食がつづいたりする。
川の向うは川崎市という場所に住んでいるので、往復の時間がかかるし、タクシーを使えば値上げのために往復の賃金がホテル代を上まわってしまう。
仕方がないので、銀座に近いホテルにもう半月以上泊まっている。
ここにいれば、仕事の行き帰りは徒歩で済むし、近くに映画街があるので長らく観ないフイルムを見にゆくことは簡単だし、赤坂のマージャンの溜り場も地下鉄で十五分だし、月二回の病院通いにも便利である。仕事のことで訪ねてきてもらうのにも、遠くまで足労をかけないでよろしいし、一石五鳥だとおもっていた。ところが、この期間に観た映画はブルース・リーの「燃えよドラゴン」だけだし、もう二十日間も牌《パイ》を手にしないし、酒はしばしば飲む羽目になるのだが一人でふらりと出かけたことは一度もない。そのあいだに厄介な原稿を書いたので、ついにフラフラになって、二日間ほどベッドを離れずに眠ったり、目が開いているときにもうつらうつらしていた。
歩いて三分のところに、ゲーム・コーナーがあって、電気仕掛のいろいろ凝った遊び道具が並んでいる。もともとこの種のものは大好きなので、これだけは三日つづけて通ってみた。
ところが、なまじ複雑な器具なのがかえっていけなくて、間もなく倦きてしまった。パチンコなら倦きないのは、単純素朴なところがよいのである。
たとえていえば、パチンコは米の飯で、電気仕掛ゲームは、趣向をこらしたご馳走ということになる。美食というものも、連日となるとウンザリしてしまう。
ホテルの食事は、毎日となるとこれも家庭料理の素朴さがないので、倦きてくる。
そこで近くにあるキツネうどんや牛丼のうまい店を探し出して、済ますようになった。
一つだけ都合がよいのは、深夜に未知の人からの電話のないことである。ときおりそういう電話があって、まったく知らない女性がなれなれしく電話をかけてきたりする。
そういうときには、私のセリフはきまっていて、
「いまは、もう夜更けだから、明日の昼間にかけていらっしゃい」
と答えると、九十九パーセント翌日にかかってくるものはない。
酔った勢いでかけてくるらしい。
一度、深夜に若い男の声がし、こう言った。
「○△雑誌の何某が、いまそこに伺っている筈ですから、電話口に出して下さい」
そんな人はきていないので、そのことを言うと、
「そんな筈はない。どうしても出してもらいたい」
と押問答になり、そのうち相手が、
「おりょー、はて面妖《めんよう》な、そんなことはないんですがなあー」
と、まるで井伏|鱒二《ますじ》さんの作中人物のような口調になってきたので、私も一計を案じ、
「君はいま酔っぱらっておる。くだくだ言うのはそのくらいにして、もう眠りなさい」
と言ってみると、相手はまことに素直に、
「おやすみなさーい」
と、電話を切ってしまった。