ある日、突然中華ソバが食べたくなった。それも薄味で具《ぐ》がごたごた入っていないものが、食べたい。これは家から歩いて行けるところにあるラーメン屋ではムリなので、近所のドライブ・イン風の中国料理店へ車を運転して行った。
午後三時ころで、立派な店構えの内部はがらんとしている。
「ソバだけだけど、いいですか」
と、おそるおそるお願いする。こういうとき邪慳《じやけん》にされると、たちまち胃の按配が変ってしまって、旨いものもマズくなってくる。
さいわい、こころよく頷《うなず》いてくれたので、メニューを調べて目的のものに近そうなソバを註文した。
かなりの時間待たされたが、鶏のガラでダシをとった汁がたっぷりしていて、ソバの量はすくなく、具はホウレンソウだけのものが土鍋に入って出てきた。満足して私は食べはじめたが、熱い汁をレンゲですくって飲んだりしているので、時間がかかる。
そのうち、上の部分が回転式になっている大きなテーブルに、男女従業員が四人ばかり集まって坐った。夕飯時になれば、上等の席として使われる場所である。
つぎつぎと料理の皿が運ばれてきて、その中身ははっきり見えないのだが、おそらくメニューには載っていない臓物料理などの類ではあるまいか。
ここで、ある中国のコックから教えてもらった豆腐料理を紹介しよう。つくり方は至極簡単で、二、三分あればできる。
まず、木綿豆腐を一丁、冷蔵庫でよく冷やしておく。
葱《ねぎ》(タマネギではない)を刻んで、晒《さら》しておく。トウフを取出して皿に置き、その上にネギをたくさん載せ、塩とゴマ油をかけて、手早く混ぜる。
トウフの形が崩れすぎないようにするのと、ゴマ油の数滴、なによりのコツは塩だけの味加減である。
こういうものは、中国料理店のメニューには見当らない。
トウフは、一般には淡泊な食品のイメージであるが、体の調子のわるいときにはかなり濃厚な味に感じられて私は箸が伸びない。
植物性タンパク質のかたまりなのだから、そういう感じも、起ってくるのだろう。
動物性タンパクのかたまりで、トウフに似ているものといえば、これは魚の白子《しらこ》である。
この食べ物も、健康状態次第で淡泊にも濃厚にもなるところが、似ている。
昭和の初年には、東京の市場の魚屋は白子を捨てていた。ムツという魚のものなど、一顧だにしない。
岡山から移住してきていた祖母は、白子の旨さを十分知っているので、その捨てる部分を欲しいというと、無料でくれたそうである。
そういう部分を料理して賞味するのが、コックたちだけがひそかに旨いものを食べていることに似ているわけだ。ただし、戦前にすでに東京の人間も白子の味を覚えてしまい、いまでは高価なものになってしまった。
ところで、その中国料理店の従業員たちの遅い昼めしについてだが、幾皿も出てもう終りだろうとみていると、大きな赤銅《あかがね》の鍋が運ばれてきた。
そのうちの一人が、テーブルを囲んでいる連中にたずねている。
「何ちゃんは、どうしたの」
「いま、ザルソバを食いに行ってるよ」
いくら旨そうにみえても、毎日ではやはり倦きてくるものらしい。