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今日からマ王14-4

时间: 2018-04-30    进入日语论坛
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 新しい朝がきた。
 昨日の朝だ。
「それは新しいんでしょうかね」
 付き合いで腕を振《ふ》っていたヨザックが、隣から茶々を入れてくる。
 おれは喜びに胸を開きながら、大空を仰《あお》ぐ。狭《せま》い救命ボートに胡座《あぐら》をかいたままで。上空には薄《うす》く雲がかかり、太陽の姿は確かめられない。朝からずっとこんな天気だ。ありがたいことにはっきり晴れるという時間帯はなかった。これでカンカン照りだったら、とっくに脱水《だっすい》症状になっていただろう。
 何しろ、水がない。
 海という水だらけの場所に浮《う》かんでいながら、手元には喉《のど》を潤《うるお》す、それどころか生命を維持《いじ》するための飲料水がない。当然、食糧《しょくりょう》もなかったが、こちらは一日二日なら我慢《がまん》ができた。普段《ふだん》からいい物を食わせてもらって、腹や腿《もも》に肉をつけておいたお陰《かげ》だ。ありがとう飽食《ほうしょく》の時代、ありがとう自分の筋肉。
 その筋肉に感謝するためにも、定期的に適度な刺激《しげき》を与《あた》えてやらなければならない。たとえ狭苦《せまくる》しく、勝手に立ち上がれないような場所にいたとしてもだ。動かせるところは動かしてやらないと、血流が滞《とどこお》って乳酸に代わってしまう。せめて上半身だけでも解《ほぐ》そうと、おれはラジオ体操に勤《いそ》しんだ。最近は椅子《いす》に座ったままバージョンもある。
「軽い運動やストレッチは大切だよ。楽しい海外旅行中に、機内でのエコノミークラス症候群《しょうこうぐん》を防ぐためにもね」
 恐《おそ》らくメンバーの中で唯一《ゆいいつ》、空の旅経験のあるウェラー卿が、せっかくのおれの説明に、やる気のなさそうな調子で突《つ》っ込んだ。
「機内というより船上ですが」
「似たようなものさ」
 不機嫌《ふきげん》そうな声になってしまったなと、自分でも反省する。おれたちの間の不穏《ふおん》な空気に勘《かん》付いたのか、サラレギーが整った眉《まゆ》を顰《ひそ》めた。
「その奇妙《きみょう》な運動は何なの? 初めて見るよ、魔族《まぞく》の人々の習慣なのかな。手や足を猿《さる》のように動かして面白《おもしろ》いね」
「ラジオ体操だよ。知らなくても無理ないさ。一日の生活にめりはりをつけるように、夏休みの早朝なんかにやるんだ」
「ふーん。で、メリーとハリーはご夫婦なのかな」
 それはどうだろう。
「ユーリ、もしかして具合が悪いの? 船酔《ふなよ》いを誤魔化《ごまか》すために無理しているのかい?」
「別に何でもない。どこも悪くないよ、身体《からだ》の方は絶好調だ」
「とてもそうは見えないよ。ああ、やっぱりあなたも同じだ。日射《ひざ》しと潮風にやられて頬《ほお》も指もカサカサになっている」
「うぷ」
 身を乗り出しておれの顔を撫《な》で回し、薄い色の硝子《ガラス》の奥で、悲しそうに瞳《ひとみ》を曇《くも》らせる。
「無理もないね。もう二日近く風呂《ふろ》にも入れず、真水で塩分を洗い流すことさえできないんだもの。ああ、薬効成分たっぷりのお湯に浸《つ》かって、温かい霧《きり》で毛穴の奥まで開き、老廃《ろうはい》物を取り除きたい。ねえユーリ、あなたもそうでしょう。でないとあなたのお付きの偽女《にせおんな》みたいに、荒《あ》れ果《は》てた肌《はだ》になってしまう。勿体《もったい》ない、それはもったいないよ」
「……言うじゃなぁい?」
 ヨザックの頬が引きつるのが見えた。多少の理不尽《りふじん》さを感じつつも、おれは慌《あわ》ててお庭番と異国の王様の間に入った。
「で、でもおれ元々、陽《ひ》当たり上等アウトドア派の野球|小僧《こぞう》なんで、この程度の日焼けは当たり前ですから! そんな残念がらないで! グリ江ちゃんだって今はストレスで大変なんだよな。おれが不甲斐《ふがい》ないばっかりに、心労ばっか増やしてごめんな、な?」
 膝《ひざ》に肘《ひじ》を載せて頬杖《ほおづえ》をついていたウェラー卿は、我関せずの表情で波を眺《なが》めている。小シマロンの船員達が数人、漕《こ》ぐ手を止めてこちらを窺《うかが》っていた。彼等の疲労《ひろう》も並大抵《なみたいてい》ではなかろうに、その上こんな馬鹿《ばか》げた騒《さわ》ぎを聞かされたのでは、気も休まらないに違いない。
「ああ悪かった、交替《こうたい》しよう。そっちに行くよ」
 腰《こし》を低くしたまま狭い船上を移動すると、肩を竦《すく》めたヨザックが黙《だま》ってついてきた。自主的に漕ぎ当番に参加しているが、四度目ともなれば呆《あき》れて小言もないようだ。
 小シマロン王サラレギーとその配下である貨物船の乗員、王の護衛であるウェラー卿、更《さら》におれとヨザックを加えた約二十人は、狭苦しい救命ボートの上で、もう丸一日|漂流《ひょうりゅう》している。昨日の夕方、船を脱出《だっしゅつ》した時には、陸地は手の届きそうな近くに見えていた。それが実際に帆《ほ》を持たない小舟《こぶね》に移り、少人数の手で漕いで進むとなると、一向に距離《きょり》が縮まらない。白茶の大地は肉眼でも確認《かくにん》できるのだが、波は行く手と逆だった。
「それにしてもサラ、風呂好きなのは解《わか》るけど、もうちょっと危機感持ってもいいんじゃねえの? もしもーし、王様、現状を把握《はあく》してる? オレたち遭難《そうなん》しかけてるんですよ」
「そうなんだー」
 サラレギーは両頬を掌《てのひら》で挟《はさ》み、深刻さなど微塵《みじん》も感じられない顔で答えた。
 貨物船が難破すると彼等を騙《だま》し、この状況《じょうきょう》に放《ほう》り込んだのはこのおれだ。
 十六年に渡《わた》るモテない人生では、逆ナンは疎《おろ》か普通《ふつう》のナンパさえ一度も経験したことがない。にもかかわらず無茶|嘘《うそ》をつくから、こんな異国の海の果てで、自分より数段格好いい野郎《やろう》どもと一緒《いっしょ》に災難に遭《あ》うのだ。
「あーあ。チラチラ見えてはいるんだけどなー」
「坊《ぼっ》ちゃん、漕ぐかオレに任せるか、どっちかにしてくれません?」
「漕ぐ漕ぐ、漕ぎますとも。一漕ぎで素振《すぶ》り三回分くらいになるかもしれないしね」
 波に持ち上げられた瞬間《しゅんかん》だけ、白茶の陸地が遠くに見える。少なくとも太平洋の真ん中を漂流しているわけではなく、目指す場所は確かに存在するのだと、自分自身に言い聞かせながら、おれは棘《とげ》の浮いたオールを握《にぎ》った。
 隣《となり》ではオレンジ色の髪《かみ》のお庭番が、ピーピープー、ピーピープーと口笛を吹《ふ》きながら、櫂《かい》を巧《たく》みに操《あやつ》っている。どこかで耳にしたリズムだ。すっかり捲《まく》り上げられた割烹着《かっぽうぎ》から、ご自慢《じまん》の上腕《じょうわん》二頭筋が剥《む》き出しになっていた。寒くないのだろうか。袖《そで》を下ろしたままなのに、おれのほうが身震《みぶる》いしてしまった。
「さむ……このまままた日が暮れちゃったら困……ん?」
 ふと見《み》渡《わた》した海面に、波間に突きでた白い物体を見つけてしまい、おれは潮風でしょぼつく目を擦《こす》った。ぼんやりと見た限りでは、どうやら人の腕《うで》のようだ。
 腕……? オールを離《はな》して顔を擦り、もう一度目を凝《こ》らす。二・○の視力できちんと確認しても、やっぱり人間の腕のようだ。というか、腕だ。
 肘から上を海面に出し、掌をこちらに向け、五本の指をしっかりと開き切っている。
「ううわああ、大変、大変だよっ! コンラッド、あんた腕、腕ちゃんとある!?」
「ありますよ、陛下?」
 こんな海のど真ん中に何故《なぜ》、人間の腕が生えているのかという疑問よりも先に、ウェラー卿《きょう》の左腕の心配をしてしまった。相手も素のままで答えてしまったようだ。だが、気まずがっている場合ではない。
「腕、うで、うで、うで、うで、腕があそこに!」
 二時間ドラマの冒頭《ぼうとう》みたいな反応で、おれは白い棒状の物体を指差した。小シマロン船員達もざわめき始める。すんなりと細い肘下は、波に揺《ゆ》れる様子もなく留《とど》まっている。大海の真ん中でサスペンスドラマか、はたまた孤独《こどく》なシンクロナイズドスイミングか!?
「救助、とにかく救助しないと」
 櫂をひっ掴《つか》み、おれとヨザックと数人の船員が必死で漕いだ。小舟は急速に腕に近付き、白い掌がしっかりと見えるまでになる。生命線がない。
「しっかりしろ、いま助ける! と言うべきなのか」
「さあ……あっ坊ちゃんたら」
 お庭番の制止も聞かず、おれはいきなり手を伸《の》ばし、五本の指をぎゅっと掴んだ。
「ひゃ」
 思わず目を瞑《つぶ》ってしまう。肌は冷たく、水を吸って膨《ふく》らんだのか、ゴムのような手触《てざわ》りだ。生きている人間の腕とは思えない。
「水死体が浮かんできたんじゃないですか?」
「か、も。ひー、あまり、気持、ち、よくな……」
 海に生きる人々の葬儀《そうぎ》の作法は知らないが、だからといって握った手を離し、このまま放置する気にはなれなかった。その先に何が繋《つな》がっているのか、予想するのも恐ろしかったが、ぐっと堪《こら》えて手を引っ張る。
 重く白い腕が船縁《ふなべり》に近付いてきた。手を貸そうとヨザックが身を乗りだし、気のいい船員の何人かも脇《わき》から水中を覗《のぞ》き込んだ。あと少しで引き上げられると力を加えた時だった。
 おれはみっともない悲鳴をあげ、右手を振《ふ》り解《ほど》こうとした。
「どうしました!?」
「掴んだ! こいつおれの手を握っ……ぎゃ」
 海に引きずり込まれそうになって、慌てて救命ボートの縁に掴まる。すんでのところでヨザックが、おれの腰を抱《かか》えて止めてくれる。
「ユーリ!」
 コンラッドの彼らしくなく焦《あせ》った声がして、こちらに走り寄る震動《しんどう》があった。船の上では駆《か》け足厳禁、そんな注意が頭の片隅《かたすみ》に浮《う》かぶ。
「駄目《だめ》だ駄目、ズボンじゃなくて脚《あし》、脚しっかり掴んでくれ! ぎゃーズボンだと脱《ぬ》げちゃう、脱げちゃうから! おれセクシー担当じゃないからッ」
「知ってます、脱ぐのはグリ江の役目だもの」
「落ち着いてください陛下、あいつら悪気はないんです」
 泣き叫《さけ》ぶ子供でも宥《なだ》めるみたいに、温かい手が背中を撫でた。慣れた触《さわ》り方だ。
「あいつら?」
 強い力で引っ張られ、水面ギリギリまで顔を近づけられてやっと見えた。海中には無数の生き物がいる。鮪《まぐろ》くらいの大きさの魚達は、銀色の鱗《うろこ》を煌《きら》めかせながら、明るいブルーの水を掻《か》き分けて悠々《ゆうゆう》と泳いでいた。
 四本の手足を器用に使って。
「魚に、手と足が生えています……」
「魚人姫《ぎょじんひめ》です」
 腕の持ち主はおれの手を離すと、海面に身を躍《おど》らせ、大きく跳《は》ねて水滴《すいてき》を撒《ま》き散らした。彼にも立派な足が生えている。いや、白くしなやかな両脚から判断して、今のは「彼女」かもしれない。
「じゃああの臑毛《すねげ》の凄《すご》いのは、オス魚人姫?」
「いえ、魚人|殿《どの》です。彼等の種族は長い時間をかけて両手両足を生やし、魚の姿から人型へと変化するんです」
「……それ進化っつーんじゃねぇかなあ。そういえばおれ、この間、眞魔国の汚水《おすい》溜《だ》まりで一|匹《ぴき》、一人? 魚人姫を担《かつ》いで運んだな」
 村田と間違《まちが》えたのだが。
「ああ、それじゃあ」
 青く澄《す》んだ海中で、魚人姫と魚人殿が手を振っている。救命艇《きゅうめいてい》は彼等が起こす流れに挟まれて、陸に向かって好調なスピードで進み始めた。
「陛下に恩返しに来たんですよ、きっと」
「……陛下って、呼ぶな」
 不意に正気に返り、おれは彼の方も向かずに言った。顔を見るのが怖《こわ》かったのだ。
 濡《ぬ》れた前髪《まえがみ》が額に貼《は》り付いている。あまりの不快さに掻き上げたら、滴《したた》った水滴からつんと潮の匂《にお》いがした。
「あんたの陛下はおれじゃないだろ」
 声が急に固くなる。ウェラー卿の短い返事は、氷でも呑《の》んだみたいによそよそしく響《ひび》いた。
「失礼……つい取り乱しまして」
 サラレギーの隣に戻《もど》って行く背中に向けて、ヨザックが唇《くちびる》を歪《ゆが》めながら呟《つぶや》いた。口調も声も、苦々しく聞こえる。
「やだねェ、なりきれない男は。坊ちゃんのがずっと男前だな」
 おれのどこが男前だって?
「笑わせるなよ」
 もしおれが本当に強い精神力の持ち主なら、誰《だれ》に何と呼び掛《か》けられようとも、笑って返事が出来ただろう。心が狭《せま》いからこんな反応になるんだ。相手を思いやる余裕《よゆう》があったら、いちいち咎《とが》め立てたりしない。
 おれは自棄《やけ》になって両腕《りょううで》を振った。今度こそ聖砂国に運んでくれるだろう、魚人姫と魚人殿に感謝の言葉を捧《ささ》げながら。
 
 錦鯉《にしきごい》みたいな着物姿の外人女を連れて歩くには、深夜の国際空港以上に相応《ふさわ》しい場所はない。
 何しろここなら誰も警察に通報しない。勘違《かんちが》いした外国人など、眼鏡《めがね》をかけて首からカメラをぶら下げた日本人観光客と同じくらい、珍《めずら》しくもない光景だった。
「……つまり超《ちょう》珍しいってことじゃねーかよ!?」
 今どき吉本《よしもと》の夫婦《めおと》漫才師《まんざいし》だって、こんな派手な和服は着やしない。
 渋谷勝利はずり落ちた眼鏡を押し上げて、誰にともなく訴《うった》えかけた。
「俺は違う、俺はこの女の相方《あいかた》じゃねーからなっ」
 けれど台風通過中の夜のエアポートでは、誰も相槌《あいづち》を打ってはくれない。虚《むな》しさを通り越《こ》して悲しくなってきた。
 しゃなりしゃなりと隣《となり》を歩く勘違い女は、数少ない通行人と擦《す》れ違うたびに、両手を前で合わせて深々とお辞儀《じぎ》をする。合掌《がっしょう》。
「お前は少林寺の回し者か!」
「なーんデースかー? ニポンジン、皆《みな》さん礼儀《れいぎ》正しい。ゲイの道こと芸者道は、礼に始まり礼に終わりますどすえー?」
 将来の都政を担《にな》う者として、勝利は天を振り仰《あお》いで嘆《なげ》いた。一体どうしてこんな間違った日本観が広まってしまったのだろうか。タランティーノに責任を取らせろ。
「待てグレイブス、その珍妙《ちんみょう》な日本語で知らない人に話しかけるな。相手が迷惑《めいわく》がっているだろう」
「オーウ、ニポンはそんな冷たい人ばかりじゃないはずデス。それにショーリ、ワタシのことはグレイブスではなく、アビーと呼んでください、アビーと。ノノノノノ、ルックミー、ルックマイマウス。ア・ビー。どうぞ? ア・ビー」
「もうウィッキーさんの時代じゃねーんだよっ」
 ファーストクラス専用のラウンジに鎮座《ちんざ》していたアメリカ人、奇妙《きみょう》な和服姿のアビゲイル・グレイブスは、勝利がボブの友人だと知るや、彼から離《はな》れなくなってしまった。ボブの携帯《けいたい》電話に連絡《れんらく》を入れたのだが、鉛《なまり》の箱にでも閉じ込められているのかまったく応答がない。こうなったら無理やりタクシーに乗せて、羽田まで送り届けてしまおうかと、エントランスに向かって歩き始めたところだ。
 アビゲイルは通りすがりの人を次々と掴《つか》まえては、片言の日本語による挨拶《あいさつ》を浴びせていた。一割の確率で下ネタまで混ざる日本語|攻撃《こうげき》に、勝利はとうとう音を上げた。
「英語で話せよ、恥《は》ずかしいだろ」
 するとアビゲイルは突然《とつぜん》、教材っぽい発音で言った。
「いやよ。あなたの英語はテレタビーズ並みなんですもの」
「テレタビーズって喋《しゃべ》らねえじゃん。それでもお前さんの似非《えせ》ニポン語よりまし……お」
 やっとかかってきたコールバックに、勝利は携帯を開く手ももどかしく応じた。
「どういうことだボブ。ここにあんたのお客さんがいるぞ? 天文学的数字の偶然《ぐうぜん》で俺が会わなかったら、この錦鯉《にしきごい》はラウンジで化石になるとこだったんだぞ」
『大《おお》袈裟《げさ》だな、ジュニア』
 言葉の代わりに短い舌打ち。その呼び方はよせという意思表示だ。
『こっちはまだロドリゲスが着かなくてな』
「ロドリゲスだろうがイカゲソだろうが知ったことか。替《か》わるぞ」
 アビゲイル・グレイブスは目を丸くして自分を指差してから、突《つ》きつけられた携帯電話を受け取った。声のトーンが高くなる。
「オー、バォブ!」
「……バォブじゃねーっての。バォブじゃ」
 四倍速で喋るネイティブたちの脇《わき》で、受験英語の成功者はふて腐《くさ》れた。彼女が特に早口なのかもしれないが、知っている単語しか聞き取れないスピードだ。彼女とボブは言い争うでもなく、親しい調子で数分間話した。携帯を勝利に返す前には、何に受けたのか笑いもあった。
「あんたか運転手のどっちかが迎《むか》えに来るのか?」
『それがそうもいかないんだ、シブヤ』
 次にボブが持ち掛《か》けた提案は、彼の想像を遥《はる》かに超《こ》えるものだった。
「もてなせ、だとー!?」
 俺に、この女をか? と勝利は信じられないような口調で問い返した。眉《まゆ》がハの字になってしまう。
『そうだ、ショーり。アビーは私の客なのだが、このとおり、きみのリトルブラザーに緊急《きんきゅう》事態が発生してしまったので、彼女の到着日《とうちゃくび》をすっかり失念していてね。済まないがケンをあちらに送るまで、アビーの世話を頼《たの》めないだろうか。接待はジャパニーズビジネスマンの基本だろう?』
「ふーざけんなよボブ、都知事はもてなすのももてなされるのも選挙|違反《いはん》だ。そうでなくてもこんなB級洋画の偽《にせ》芸者みたいな女お断りだっつーのに。この上、連れ歩いて付き合ってるとでも誤解されたらどうすんだよ、どうしてくれんだよ!? 大体なあ、こいついくつ? 下手したら高校生だろ、下手しなくてもハイスクールスチューデントだろ。俺は都条例に違反する気はないかんな」
『きみはサイタマケンミンじゃないか』
 あまりのことに声まで裏返る渋谷兄に、経済界の魔王《まおう》の冷静な指摘《してき》が返ってくる。
「ど、どっちにしても駄目《だめ》だ。俺はこれからナイアガラの滝《たき》行くから。高校生一人で海外旅行するような金持ちのお嬢《じょう》さんを、満足させられるだけの資金力もな……あっ!」
 切られた。何回掛け直してももう繋《つな》がらない。アンテナの向こうでニヤつくサングラスの男が目に浮《う》かぶ。うまいこと押し付けたと思っているのだろう。
「おい、言っとくがなグレイブス」
 仕方なく携帯電話をポケットにしまいながら、渋谷勝利はアビゲイルに向き直った。彼女にしてみれば旅の出足から不運続きとなるが、東京観光はお一人様でお願いするしかない。
「おれにはお前さんを接待してる暇《ひま》なんかないんだ。弟の一大事だからな。TDLもUSJも日光《にっこう》江戸《えど》村も、国に帰ってから彼氏と行け。にゃんまげとは写真を撮《と》れ、いいな? 家族第一主義のアメリカ人なら肯《うなず》けるだろう」
「ノーノー、ボストンににゃんまげイマセーン。それよりも弟さん、どうかしたの?」
「関係ない話だ。諸般《しょはん》の事情で俺はナイアガラの滝を逆流させに行く。お前さんは近場のホテルにでも泊《と》まれ。ボブの名前を出せば、取り敢《あ》えず部屋は取れるだろ」
 胸ポケットに入れていた携帯電話が、モーター音と共に突然《とつぜん》震《ふる》えだした。青い光が点灯している。プロバイダのメールボックスから、メールが転送されてきたのだ。
 
 subject : びびえすみました。
 
 アビゲイルは液晶《えきしょう》を覗《のぞ》き込み、画面に映った本文を読みあげた。
「ヲマシタ、ハ! っぽ、イデ」
「平仮名だけ読むな」
 
 
 掲示板《けいじばん》を見ました。ナイアガラは無理っぽいですねー。でもなんで逆流なんかさせたいんですか? なんか水使った超《ちょう》魔術でも考えてます? 塗るタイプ・オブ・ジョイトイさんは興味が多方面に広がってるからナー。滝じゃないですけどスイスのボーデン湖では最近、UMA目撃情報続出らしいです。アルプス噴火《ふんか》! とかの前兆ですかね。(アルプス火山じゃないから・笑)これってトリビアの種になりますかね?
 
 
「おいおい、俺は核爆発《かくばくはつ》並みの強大な力を探してるんであって、ボッシーだかボマちゃんだかはお呼びじゃございませんよ」
 だが、食いついてきたのはマスコミではなくアビゲイルだった。
「ボーデン湖で異変? 大変、ボーデン湖っていったらうちも無関係じゃいられない。ママに報《しら》せなくっちゃ。でも何で日本人のがボーデン湖の情報早いのかしら」
「ボーデンボーデンて、お前はアイスクリーム会社の手先かよ。何だグレイブス、別荘《べっそう》でもあるのか?」
「そうじゃないの。あの湖にはママ曰《いわ》く、ウルトラ恐《おそ》ろしい物が眠《ねむ》っているの。ああもちろん首長|竜《りゅう》の冬眠《とうみん》じゃないから」
 深刻そうな話になると、やっぱり母国語に戻《もど》ってしまう。それでも二倍速程度で留《とど》まっていたので、難なく聞き取ることができた。
「嘘《うそ》か本当か知らないけど、一度|封印《ふういん》が解かれればこの世に甚大《じんだい》な被害《ひがい》をもたらすという、最凶《さいきょう》最悪の物体らしいの。ここだけの話ですけどね、ダンナ」
 アビゲイルは勝利を手招きし、耳に口を近づけた。
「その強大な力に目をつけて、大戦中にナチスが狙《ねら》ってたの。それをうちの曾《ひい》グランマが、奴等《やつらつ》の手には渡《わた》すまいとして、ボーデン湖に沈《しず》めたらしいのよ」
「お前んちのばーさんは何者だよ」
「あら」
 アビゲイル・グレイブスは和服にもかかわらず脚《あし》をぐっと広げ、片膝《かたひざ》を軽く曲げて右手を突き上げた。余った左手は腰《こし》だ。懐《なつ》かしのトラボルタポーズである。
「我がグレイブス家は、代々続くトレジャーハンターの家系なのよ」
 しかし既《すで》に勝利の頭の中は、ナチスも目をつけた強大な力という一節でいっぱいになっていた。トレジャーハンターなどどうでもいい。世界一の瀑布《ばくふ》を逆流させるよりも、幾《いく》らか実現が可能そうではないか。
 スイスか。先程《さきほど》のキャンセル待ちを今すぐに取り消して、欧州《おうしゅう》行きに変更《へんこう》しなければ。待てよ、スイスって何が公用語なんだ? 英語|圏《けん》以外でも意思の疎通《そつう》は可能だろうか。それ以前に通貨の単位はマルクやフランではなくユーロか? いちユーロって幾《いく》らくらいなのだろう……いちユーリなら弟一人と想像できるのだが。
 渡欧《とおう》のシミュレーションで脳《のう》味噌《みそ》フル回転の勝利に向かって、アビゲイルはまだアピールを続けていた。
「因《ちな》みにあたしなんか、チアリーダーにしてトレジャーハンターなのよ」
 因みに因みに、塗るタイプ・オブ・ジョイトイさんというのは勝利の|HN《ハンドルネーム》だ。親兄弟には知られたくない。
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