日の|射《さ》し込まない地下を移動していると、今が一日の内いつ|頃《ごろ》なのかが判らなくなる。
つい|癖《くせ》で自分のデジアナを見ようと手首を|掲《かか》げるが、城に置いてきたことを思い出した。どのみちたっぷりの|紫外線《しがいせん》を吸わせてやらなければ、夜光|塗料《とりょう》も役に立たない。それにしても自分の腕さえ判らないとは、どれだけ深い闇なのだろうか。
たとえ暗闇の中に置かれても、最初の内は地上での時刻が気になる。時計が読めなければ|疲労《ひろう》の状態や空腹感、ひいては歩数まで持ち出してきて判断しようとする。
だがそのうち、そんなことはどうでもよくなり、休息や食事への欲求も忘れる。何もかもどうでもよくなってしまうのだ。
おれはただ、足を動かしていた。
右の次は左、左の次はまた右という具合に、転ばずに歩くことしか頭になかった。この地下通路を通り抜けて、|砂漠《さばく》の向こうの|施設《しせつ》と|墳墓《ふんぼ》へと向かう。過去に決めた自分の意志に、|唯々《いい》諾々《だくだく》として従っているだけだ。
片手は|壁《かべ》から|離《はな》せない。暗闇の中を手探りで歩くには必要なことだ。
不意に空気が止まり、先を歩いていたサラレギーの気配が消えた。この闇の中で彼とはぐれたら、自分は一体どうなるのだろう。彼は夜目が|利《き》き、火が無くても行き先が見えるが、おれは月明かり、|或《ある》いは陽光が射し込むまで何も見えない。
一人では絶対に|踏破《とうは》できないだろう。今のところは一直線の通路だが、この先|分岐《ぶんき》点にでも差し|掛《か》かれば、道に迷い|飢《う》えて野垂れ死ぬかもしれない。それを恐ろしいと感じるよりも、|諦《あきら》める気持ちが大半を|占《し》め始めていた。
仕方がないと。
前方から気配を消したサラレギーは、歩みを止め、おれが追いつくまで待ってくれたらしい。彼独特の空気が|隣《となり》に来ると、いつもどおりの声が聞こえた。
「見えないんだね」
|黙《だま》って|頷《うなず》く。言葉で返事をしなくても、サラレギーには見えているはずだ。
「歩きにくいでしょう、手を引いてあげる」
そう言うと、案の定おれの返事も待たず、勝手に左手を握りさっさと歩き始めた。
「暗い中で見えないなんて、皆は本当に不便な生活をしていたのだね。わたしはずっとこれが|普通《ふつう》だったから、てっきり皆も見えるものだと思っていた。だから真っ暗闇でも|眼《め》を開けているわたしのことを、女官たちが|妙《みょう》な名前で呼んでいたわけだ」
妙な名前か。そういえばサラレギーには何か変わった呼称があった気もする。
「ごめんねユーリ。わたしはそういうところになかなか気が回らなくて」
|繋《つな》いだ手を子供みたいに|振《ふ》り回し、わざわざ並んで歩くために、|歩幅《ほはば》をこちらに合わせているようだ。ずっと昔、|幼稚《ようち》園《えん》に通っていた|頃《ころ》の遠足みたいな歩き方だ。相変わらず|機嫌《きげん》がいいのだろうか。
「もっと早くこうすればよかった」
おれはただ、足を動かす。そうすれば進むから、足を動かしている。
「ね、ユーリ。あなたはもっと早くこうするべきだったんだよ」
もっと早く? どうするべきだったって?
それでもおれのすることに変わりはない。ただ歩いて、この地下を|抜《ぬ》ける。あの子達の居る施設を探し、|皇帝《こうてい》達の墳墓へと向かう。過去に決めた自分の意志に従う。あの頃の自分には、まだ決断する能力があったから。
歩いて、休んで、また歩いた。
王宮育ちのサラレギーにとっては、かなり|辛《つら》い行程だと思っていたのに、結局どちらも|音《ね》を上げぬまま、二人とも|疲《つか》れ果てるまで歩き通し、どちらともなく|眠《ねむ》り、どちらともなく起きては歩き始めた。何も口にせず、おれはろくに話しもしなかったが、サラレギーはずっと機嫌が良かった。それだけは幸いだ。
三日目の半ば頃になって、サラレギーが子供じみた|感嘆《かんたん》の声をあげた。
「ユーリ見て。|天井《てんじょう》だよ、天井。天井に穴が開いている」
言われて顔を上げると、確かにずっと高く遠くの方に、ぼんやりと白い円があった。
「穴……?」
「そうだよ。ああ、暗闇に慣れ過ぎて急には見えないかもしれないね。ここはとても天井が高い。城の|吹《ふ》き抜けみたいになっているんだ。ああ、これまで|狭《せま》いばかりの通路だったから、これだけ広いと気も晴れるねえ……どう? ユーリ、明るさに段々慣れてきた?」
おれは首筋が痛くなるまで上を向き、確かに光が射し込んでいるらしい白い円を|見詰《みつ》め続けた。あれだけの光が射していれば、ここも|薄《う》っすらとは明るいはずだ。自分の手も、サラレギーの顔もじきにはっきりするだろう。
「……ユーリ?」
ぼんやりと白い|人影《ひとかげ》が、こちらを|覗《のぞ》き込んでくる。おれは目頭を人差し指で|擦《こす》り、その|掌《てのひら》をじっと見詰めた。
「サラ、おれは眼をあけているかな」
「開いているよ、それがどうかしたの?」
「……顔が見えないんだ」
光と、光によって生まれる影は判る。でも顔も手も、石も地面も。