[書き下し文]子曰く、疏飯(そし)を食らい、水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦その中にあり。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。
[口語訳]先生がおっしゃった。『高粱(コウリャン)の粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を曲げて枕にする。そんな質素な生活の中にも楽しみがある。不正な手段で金銭や地位を得ているものは、私にとって浮雲のような存在に過ぎない。』
[解説]晩年の孔子の人生観の簡潔な吐露であり、不正な手段で富裕になる出世主義者と自分とが無関係であると述べた部分である。孔子にとって粗末な衣食住の生活をすることは苦痛でも不幸でもなく、孔子は学問と道徳の実践の中にこそ人間としての『真の楽しみ』があると考えていた。金銭や官位を得るために他人を不正な手段で蹴落としたり、賄賂を贈って取り入ったりするような生き方を、孔子が直接的に批判していない点に注意したい。孔子はそういった現世利益を必死に追い求める人たちのことは全否定していないが、彼らは私にとって何の意味も価値も持たない『浮雲(うきぐも)』のようなものだと語っているのである。『他人は他人、自分は自分』という明瞭な区分が厳然として孔子の中で成り立っており、不正や強欲などの『徳の欠如』があっても、それを懸命に非難したり否定する必要性を感じていないのである。