[書き下し文]子、匡(きょう)に畏わる(おそわる)。曰く、文王既に没す、文は茲(ここ)にあらざらんや。天の将に斯の(この)文を喪ぼさんとするや、後れ(おくれ)死す者、斯の文に与る(あずかる)ことを得ざらん。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)それ予(われ)を如何(いかん)せん。
[口語訳]先生が匡の町で襲われた時に言われた。『周の文王は既に亡くなられた。文王の時代の礼節や仁徳はここ(私の胸)にあるではないか。天が、私の内面にある礼節や仁徳を滅ぼそうとするならば、私の後に死す若い人たちは、この周王の文化や礼節の恩恵に預かることが出来なくなってしまう。天がまだ私の内面にある文化・礼節を滅ぼさないのであれば、匡人ごときが私に何をすることができるのだろうか?(いや、何もすることはできない)。』
[解説]匡の町の郊外で孔子一行が襲撃を受けた時に、孔子が弟子達を安心させるために語った言葉とされる。周の文王とは周の開祖である武王の父であり、周の礼制や文化、政治の基盤を整えた人物である。孔子はその文王の文化や礼制を自分の内面へと継承していると自負しており、天命が自分を見放さない限りは、匡人の襲撃ごときで生命を落とすことはないと確信していた。普段は、そういった自信家ぶりを周囲に見せない謙虚な孔子であるか、襲撃を受けた儒教集団の窮地を察して、パニックになった門弟たちの精神を安定させ勇気を奮い起こす言葉を語ったのであろう。