孟子は言う。
「矢づくり職人が鎧づくり職人より仁の心がないなどと言えるはずがない。矢づくり職人はただただ殺傷力がないことを心配するだけだし、鎧づくり職人はただただ防御力がないことを心配するだけだ。祈り屋と墓作りも同じことだ。だから、職業は慎重に選ばなければならない。孔子が言う、『仁にいるのが最もよい。自ら仁の道を選ばないで、それで智者とはいえない』(論語、里仁篇)と。まさしく、仁は「天の尊爵」、つまり天から与えられた尊い爵位だ。そして仁は「人の安宅」、つまり人が安住できる家だ。ここにいないで不仁のままに心をまかせるならば、それは不智というべきものだ。不仁、不智、それに無礼、無義であることは、心を不自由な奴隷の状態にしているのと同じで、例えるならば人の召使であるようなものだ。人の召使でありながら命令を聞くことを恥じるのは、弓づくり職人が弓を作るのを恥じ、矢づくり職人が矢を作るのを恥じるのと同じではないか。(だから、心の自由を得られない不仁の状態にいることで、心が外物に惑わされるのを嫌い恥じるのは筋違いだ。)これを恥じるのならば、仁を行うしかない。仁の人は、(職人とは違って)弓を射る人のようなものだ。射る人は己を正しくして、後に的に向けて放つ。もし当たらなくても、(自分は正しい心でやるべきことをやったから)自分に勝った者を怨みはしない。自分を反省するだけだ。」