返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 正文

食物ことわざ事典107

时间: 2020-01-15    进入日语论坛
核心提示:貧相の重ね食い数多いことわざの中には、元来使われていたことばを、音の似通っていることから、全然別の文字を組み入れて、意味
(单词翻译:双击或拖选)
貧相の重ね食い

数多いことわざの中には、元来使われていたことばを、音の似通っていることから、全然別の文字を組み入れて、意味の異なるものに入れ換えてしまうケースがしばしばあります。さしずめ「痩法師《やせほうし》の酢好《すごの》み」などがそれで、昔から八瀬《やせ》(現在の京都市左京区)の寺では、酒の持ち込みをきびしく禁じていました。ところが数いる寺僧の中には、酒好きの者もいて、どうにもガマンできず、日ごと徳利を抱えて山門を出入りしていました。道で檀家《だんか》の人に遭い、「お手持ちの品は?」と聞かれると、「酢にて候」と答えていました。あまり足繁く徳利を抱えて通うので、いつしか人目につき、聞かれるたびに、同じように「酢にて候」と答えるので、「八瀬の法師は酢好みや」と評判が立つようになりました。昔の人は酢はからだによくないと考え、酢を飲めば痩せる──と、頑《かたく》なに信じていたので、いつの間にか「八瀬」を同音の「痩」に通わせるようになりました。事の真偽は別として、当時の庶民の生活感情にはピッタリで、ことわざの基本的な性格とされる共感性が、このことわざの言い換えを敢えて許したものと思われ、その共感性があるがゆえに、現代に生きるわたくしたちがことわざを介して、先祖たちの考え方や感じ方を共有できるわけです。
「貧相の重ね食い」も、元は「貧僧《ひんそう》の重《かさ》ね斎《どき》」だったようで、斎《とき》はお坊さんの食事のことでしたが、やがて寺で檀信徒に出す食事、また、法要のとき、檀家がお坊さんや参会者に供する食事の意味にも使われるようになりました。貧乏寺のお坊さんが同時に二軒の家から「斎」に招かれ、戸惑いを感じて、どうしようかと考えあぐねる。ふだん、粗食にあまんじているお坊さんが、ムリして二軒廻って御馳走にありつく。「重ね斎」は、二重に食事を摂《と》る意味です。転じて、腹を空かしている者が、偶然、一度にたくさんの御馳走にありつくことがある、貧乏していても、たまにはよいことが重なるときがあるものだ──というたとえに用いられました。貧しい暮しのお坊さんにかぎらず、そうした心理のアヤは、庶民の心情に大いに共感を呼んだので、「貧僧」が「貧相」に転じ、「斎」が「食い」に転じても、庶民の間に広く用いられるようになったのでしょう。
そうは言っても、飽食時代の今日、食うや食わずの極貧や、食糧難時代を体験したことのない若い世代のひとびとには、この「重ね斎」に出遭ったよろこびと、両立しがたい哀しみの心情の深さは、あるいはぴんと来ないかも知れません。
元の句の「貧僧の重ね斎」には、「せめて一日か半日ズレていたらよかったのに……」という無念さも読み取れます。無念さが読み取れるだけに、「貧僧」が「貧相」になっても、依然として共感を呼ぶ素地があったのでしょう。腹を空かしている者が、たまたま一度にたくさんの美食にありつけば、一度にガツガツ食べるのがオチで、「貧乏人の逸散食い」とは実に辛辣《しんらつ》な見方ですね。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论