現代は女性上位時代とか、家庭における主婦の地位もグンと向上して、うっかり夕餉《ゆうげ》の席で、ご主人がうまいまずいをロにしようものなら、すかさず女房殿から「稼ぎの多寡《たか》」を問題にされ、止むなく出されたものを黙々と食べる——といったありさまになっています。まことに、日本民族の将来にとって「ユユシキ事態」と申さねばなりません。
料理のうまいまずいを口にすると、とかくゼイタクをいっているように受け取られがちなのも、長い年月の間、日本人の多くが貧しい食生活に慣《な》らされ、文字通り「食い詰め」た生活をしてきたからでしょう。なにはともあれ、料理に対する考え方やり方一つで、おいしく食べられ、ものをも生かし、その上、経済的——そんな料理法はないものでしょうか? いや、それがあるのです。「うまいものは宵に食え」これを実行すればよいのです。
うまいものでも一夜過ぎれば味が変わる。宵に食えばうまいものを、わざわざ翌日に残して味を殺す、これが料理のこころに背《そむ》くものだと知ればよいのです。
うまいという味の中身には、作りたての鮮度や熱、香りがあります。時の経つということは、これらも同時に失うことです。「宵に食え」というのは、うまいものを宵越しさせるな——という表面上の事柄ばかりでなく、作りたてをすぐ食べろと、積極的に指示してもいるのです。
わざわざよい材料を殺して、まずいものにしてしまうことは第一、造物主に対して申訳ないことだし、家計の上からも、まことに不経済なことです。
人は、金の使い方の上手下手については、とやかく問題にしますが、きゅうり一本、イワシ一尾の選び方の上手下手となると、それほど問題にしません。材料選びの上手下手が味に直接影響するのはもちろん、家計の上にも大きな開きがでてきます。
鳥獣肉ならいざ知らず、魚介、野菜類などは、鮮度のよいものほど栄養価も高く、食べてもおいしいのです。土を離れて時の経つにつれ、味がよくなるなどという野菜は、まずありません。この事一つを知っても、うまい料理はできるはずです。
次に心得てほしいことは、材料の持ち味ということです。持ち味を知ってこれを生かすことです。日常の食卓にのぼる魚や野菜も、一年を通じて数えたら何百種にも及ぶと思いますが、どれ一つをとっても同じ味のものはありません。それぞれに固有の味を備えております。この持ち味に注目することです。日本料理は、中国料理や西洋料理にくらべ、特に持ち味尊重の料理だからです。
同じ費用と手間で、人よりもうまいものが食べられ、ものを生かす殺すの道理がわかり、材料を深く知ることで偏食をまぬかれ、ものの風情にも関心が高まり、興味ある料理に、生きがいある人生がわかる——こんな料理研究をなおざりにしておくことは、まことにもったいないことだとは思いませんか……。
料理のうまいまずいを口にすると、とかくゼイタクをいっているように受け取られがちなのも、長い年月の間、日本人の多くが貧しい食生活に慣《な》らされ、文字通り「食い詰め」た生活をしてきたからでしょう。なにはともあれ、料理に対する考え方やり方一つで、おいしく食べられ、ものをも生かし、その上、経済的——そんな料理法はないものでしょうか? いや、それがあるのです。「うまいものは宵に食え」これを実行すればよいのです。
うまいものでも一夜過ぎれば味が変わる。宵に食えばうまいものを、わざわざ翌日に残して味を殺す、これが料理のこころに背《そむ》くものだと知ればよいのです。
うまいという味の中身には、作りたての鮮度や熱、香りがあります。時の経つということは、これらも同時に失うことです。「宵に食え」というのは、うまいものを宵越しさせるな——という表面上の事柄ばかりでなく、作りたてをすぐ食べろと、積極的に指示してもいるのです。
わざわざよい材料を殺して、まずいものにしてしまうことは第一、造物主に対して申訳ないことだし、家計の上からも、まことに不経済なことです。
人は、金の使い方の上手下手については、とやかく問題にしますが、きゅうり一本、イワシ一尾の選び方の上手下手となると、それほど問題にしません。材料選びの上手下手が味に直接影響するのはもちろん、家計の上にも大きな開きがでてきます。
鳥獣肉ならいざ知らず、魚介、野菜類などは、鮮度のよいものほど栄養価も高く、食べてもおいしいのです。土を離れて時の経つにつれ、味がよくなるなどという野菜は、まずありません。この事一つを知っても、うまい料理はできるはずです。
次に心得てほしいことは、材料の持ち味ということです。持ち味を知ってこれを生かすことです。日常の食卓にのぼる魚や野菜も、一年を通じて数えたら何百種にも及ぶと思いますが、どれ一つをとっても同じ味のものはありません。それぞれに固有の味を備えております。この持ち味に注目することです。日本料理は、中国料理や西洋料理にくらべ、特に持ち味尊重の料理だからです。
同じ費用と手間で、人よりもうまいものが食べられ、ものを生かす殺すの道理がわかり、材料を深く知ることで偏食をまぬかれ、ものの風情にも関心が高まり、興味ある料理に、生きがいある人生がわかる——こんな料理研究をなおざりにしておくことは、まことにもったいないことだとは思いませんか……。