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八墓村-第一章 尋ね人(2)

时间: 2022-05-31    进入日语论坛
核心提示:ただ、子どもごころに不思議に思ったのは、私の肌はだ身みはなさず持っている守り袋の臍へその緒書きには、ちゃんと大正十一年生
(单词翻译:双击或拖选)

ただ、子どもごころに不思議に思ったのは、私の肌はだ身みはなさず持っている守り袋の臍へその緒書きには、ちゃんと大正十一年生まれと書いてあるのに戸籍では大正十二年生まれとなっていることである。だから私は今年二十九歳なのだが世間一般には二十八歳で通っているのだ。

それはさておき、まえにもいったとおり私の母は、私が七つの時に死んだ。そしてその時からして私の前半生のほんとうの幸福は、ぴったりと停止したのだ。だが、こういったからとて、それから後の私の生活が悲惨なものであったなどというのではけっしてない。母が亡くなった翌年、父は新しい妻をめとった。そのひとは母とちがって大柄で、陽気でよくしゃべるひとであった。おしゃべりな女の多くがそうであるように、このひとも心に毒のない人だったし、養父はまえにもいったとおり、心のひろい人だったから、その後もずっと私のめんどうを見てくれて、小学校から商業学校と出してくれた。

しかしなんといっても血をわけていない親子の間には、何かしら欠けているものがあった。いってみれば、見た眼には別に変わりのない料理だが、食べてみると、大事な調味料が欠けているようなものだ。それに新しい母が、つぎからつぎと子どもを生んだので、邪魔にするというほどではなくとも、なんとなく私に対して、よそよそしくなるのは当然だろう。それが原因になったわけではないが、商業学校を出た年に、私は養父と大衝突をして家をとび出し、友だちのところへころげこんだ。

それからあとは別に変わったことはない。尋常の体を持った当時の青年の、だれでもがそうであったように、私も二十一の年に兵隊にとられた。そして間もなく南方へやられて、苦しい月日を送っているうちに、終戦となり、その翌年復員してきた。

さて、復員して神戸へかえってみると、全市みごとに焼けているのには驚いた。一度衝突した仲だけれど、いまとなってはただ一人、頼りに思う義父の家も焼けてしまって、義母も義理の弟妹たちの行方もわからなかった。しかも、聞くところによると養父は造船所が爆撃されたとき、爆弾の破片に当たって死んだということである。おまけに戦争にいくまえ勤めていた商事会社もつぶれてしまって、いつ再起するかわからないという状態である。

私はすっかり途方にくれたが、幸い学校時代の友人に親切な男があって、戦後新しくできた化粧品会社へ世話をしてくれた。この会社は特別によい業績をあげているというのではなかったが、さりとてやっていけぬというほどではなかったので、どうやら私も二年ちかく、最低生活だけは維持できたのである。

こうしてもしあの事さえなかったら、私はまだまだ苦しい、そしてまた平凡な生活をつづけていったことだろう。ところがそこに俄が然ぜん、灰色の私の人生に、一点の紅をたらしたような異常なことが起こった。そして、これが、きっかけとなって、私は眼もくらむような怪奇な冒険と、血の凍るような恐怖の世界に足を踏み入れたのであった。

そのきっかけというのはこうである。

あれは忘れもしない去年、すなわち昭和二十×年五月二十五日のことであった。九時ごろ会社へ出勤すると、しばらくして課長に呼ばれた。課長は私の顔をジロジロ見ながら、

「寺田君、きみは今朝のラジオをきかなかったかね」

と、尋ねた。

私がはいと答えると、課長は重ねて、

「きみの名はたしか辰弥といったね、そしてきみのお父さんの名は虎造といやあしなかったかい」

と、尋ねた。

私は今朝のラジオのことと、自分や養父の名前と、どういう関係があるのかと不思議に思いながら、それでもそうですと答えると、

「それじゃ、やっぱりそうだ。寺田君、ラジオできみを探している人があるぜ」

と、課長がいったので私も驚いた。課長の話によるとこうだ。今朝のラジオの尋ね人の時間に、寺田虎造の長男、寺田辰弥の居所を知っているものがあったら、つぎのところへ知らせてくれ、もしまた寺田辰弥自身がこのラジオをきいたら、本人じきじき出向いてほしいという放送があったそうである。

「それでぼくは相手のところを写しておいたのだがね。これだ。きみ、だれかきみを探すような人の心当たりがあるの」

課長の手帳には「北長狭通三丁目、日東ビル四階諏す訪わ法律事務所」と、書いてある。

私はこれを見て、まことに奇異な想おもいにうたれたことである。いままで述べてきたところでもわかるとおり、私は孤児同然の身のうえなのだ。戦災をうけて行方のわからなくなっている義理の母や弟妹たちが、どこかに生きているのかもしれないけれど、その人たちは弁護士を頼み、ラジオを通じてまで、私の行方を探そうとは思えなかった。もし、養父が生きていたら、寄る辺ない、私の身をふびんに思って、探してくれるかもしれないけれど、その人はもうこの世にない人である。そのほかには全然心当たりがなかった。

私が奇異な想いにうたれてぼんやりしていると、

「とにかく行ってみるのだね。きみを探してくれる人があるのだから放っておいては悪いよ」

と、課長がはげましてくれた。そして、午前中ひまをあげるから、これからすぐに行ってみるようにと付け加えた。思うに課長も、はからずも自分が聴いた因縁があるので、この問題に好奇心を持っていたのだろう。

私はなんだか狐きつねにつままれたような気もし、また、一方にわかに小説中の人物になったような感じもしたが、課長がすすめてくれるままに、それからすぐに会社から出た。そうして一種の期待と、一種の不安に胸をとどろかせながら、北長狭通三丁目、日東ビル四階にある、諏訪法律事務所の一室で、諏訪弁護士と向かいあったのは、それから半時間もたたぬうちだった。

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