六
格太郎の葬式を済ませると、第一におせいの演じたお芝居は、無論上べだけではあるが、不義の恋人と、切れることであった。そして、類なき技巧を以て、格二郎の疑念をはらすことに専念した。しかも、それはある程度まで成功した。仮令一時だったとはいえ、格二郎はまんまと妖婦の欺瞞に陥ったのである。
かくておせいは、予期以上の分配金に預り、息子の正一と共に、住みなれた邸を売って、次から次と住所を変え、得意のお芝居の助けをかりて、いつとも知れず、親族達の監視から遠ざかって行くのだった。
問題の長持は、おせいが強いて貰い受けて、彼女から密に古道具屋に売払われた。その長持は今何人の手に納められたことであろう。あの掻き瑕と不気味な仮名文字とが、新しい持主の好奇心を刺戟する様なことはなかったであろうか。彼は掻き傷にこもる恐しい妄執にふと心戦くことはなかったか。そして又、「オセイ」という不可思議なる三字に、彼は果して如何なる女性を想像したであろう。ともすれば、それは世の醜さを知り初めぬ、無垢の乙女の姿であったかも知れないのだが。