「そうだ。判事さん、N市×町×番地を調べて下さい。そこに僕の恋人がいるんです。僕は事件の夜、ずっとそこにいました。散歩したなんて嘘です。その人の名は絹川雪子って云うんです。雪子に聞いて下さい」
幸吉は遂にひそかなる恋人の名を隠して置くことが出来なくなった。
「ハハハ……、何を云っているんだ、君の情婦の証言なんか当てになるか。その女は君の共謀者かも知れんじゃないか」
署長が一笑に附した。
「イヤ、その女の証言をとる位の手数は何でもありません。あんなに云っているのだから、警察電話で、本署へ至急取調べて返事をしてくれる様にお命じになっては如何です」
国枝氏のとりなしで、兎も角雪子という女を取調べさせることに決した。雪子はどうせ一度は調べなければならない人物なのだから。
待遠しい一時間が経過して、駐在所から電話の返事を持って、一人の刑事が駈けつけて来た。
「絹川雪子は、一昨夜大宅は一度も来なかった。何かの間違いでしょうと答えたそうです。幾度尋ねても同じ返事だったそうです」
刑事が報告した。
「それで、雪子は当夜ずっと在宅していたかどうかは?」
「それは雪子が二階借りをしている家の婆さんを取調べた結果、確に在宅していたことが分ったということです」
若し雪子が当夜外出したとなると、彼女にも鶴子殺しの疑いがかかる訳だ。彼女も亦幸吉と同じ動機を持っていたからである。併し、外出した模様もなく、恋人の幸吉にとっては最も不利な証言をした所を見ると、雪子は何も知らぬらしい。全然この事件の圏外に置いて差支えない訳だ。
国枝氏は再び幸吉を面前に呼出して、刑事からの報告を伝えた。
「サア、これで君の為に出来る丈けのことをした訳だ。もう異存はあるまいね。君の情婦さえアリバイを申立てては呉れなかったのだ。観念した方がいいだろう」
「嘘だ。雪子がそんなことを言う筈がない。会わせて下さい。僕を雪子に会わせて下さい。あれがそんな馬鹿なことを云う道理がない。君達はいい加減のことを云って、僕を陥れようとしているのだ。サア、僕をN市へ連れて行って下さい。そして雪子と対決させて下さい」
幸吉は地だんだを踏まんばかりにして、わめいた。
「よしよし、会わせてやる。会わせてやるからおとなしくするんだ」
警察署長は見えすいた猫撫で声をしながら、ギロリと鋭い目で部下に合図をした。
二名の警官が、よろめく幸吉の手を掴んで、荒々しくドアの外へ引ずり出してしまった。
大宅村長の若旦那幸吉は、果して恐ろしい殺人犯人であったか。若しや彼は何者かの為に、抜き差しならぬ陥穽に陥れられたのではあるまいか。ではその真犯人は、一体全体どこに隠れているのであろう。探偵小説家殿村昌一は、この事件に於て、如何なる役割を勤めるのか。彼があの様に重大に考えていた藁人形には、抑々どんな意味があったのか。