毒薬を奪われた娘は、最後の力尽きて、くずれる様に倒れ伏、物狂わしく泣き入った。
「国枝君、今朝絹川雪子が、部屋の中で消え失せてしまったことを聞いているだろう。あの部屋から姿を消したこの女は、素早くも、療養所の入院患者になりすましていたのだよ」
殿村が説明した。
「だが、待ち給え。それは少しおかしいぜ」
国枝氏は何か腑に落ぬらしく、絶え入らんばかりに泣き入っている女を見おろしながら、
「絹川雪子は犯罪の行われた日は一度も外出しなかった筈だ。それに、被害者の山北鶴子は、雪子にとって恋の敵でも何でもない。大宅は完全に雪子のものだったのだからね。その雪子が何を好んで、命がけの殺人罪などを企てたのだろう。どうもおかしいぜ。この女は、神経衰弱の余り、変な幻想を起しているのではないかしら」
と妙な顔をする。
「サア、そこだよ。そこに非常な錯誤があるのだ。犯人のずば抜けたトリックがあるのだ。君は犯人を大宅幸吉と極めてかかっている。それが間違いだ。君は被害者を山北鶴子と極めてかかっている。そこに重大な錯誤があるのだ。被害者も犯人も、君達には少しも分っていないのだ」
殿村が奇怪千万なことを云い出した。
「エ、エ、何だって?」
国枝氏は飛上らんばかりに驚いて叫んだ。
「被害者が山北鶴子ではないって? じゃ一体誰が殺されたのだ」
「あの死骸は犬に食い荒される以前、恐らく顔面を滅茶滅茶に傷つけてあったに違いない。そうして人相を分らなくした死骸に、鶴子の着物や装身具をつけて、あすこへ捨てて置いたのだ」
「だが君、それじゃ鶴子の行方不明をどう解釈すればいいのだ。田舎娘が親に無断で、三日も四日も帰らないなんて、常識では考えられないことだ」
「鶴子さんは絶対に家に帰る訳には行かなかったのだ。僕はね、大宅君から聞いているのだが、鶴子さんは非常な探偵小説好きで、英米の犯罪学の書物まで集めていたそうだ。僕の小説なんかも残らず読んでいたそうだ。あの人は君が考えている様な、単純な田舎娘ではないのだよ」
殿村は必要以上に高い声で物を云った。国枝氏ではない誰かもっと別の人に話しかけてでもいる様に。
国枝氏は益々面喰らって、
「何だか、君は鶴子さんを非難している様に聞えるが」
と反問した。
「非難だって? 非難どころか、あいつは人殺しなんだ。極悪非道の殺人鬼なんだ」
「エ、エ、すると……」
「そうだよ。山北鶴子は君が信じている様に被害者ではなくて加害者なんだ。殺されたのではなくて殺したのだ」