「誰を、誰を」
予審判事は、殿村の興奮につり込まれて、慌しく尋ねた。
「絹川雪子をさ」
「オイオイ、殿村君、君は何を云っているのだ。絹川雪子は、現に僕等の目の前に泣き伏ているじゃないか。だが、アア、それとも、若しや君は……」
「ハハハ……、分ったかい。ここにいるのは絹川雪子の仮面を冠った山北鶴子その人なんだ。鶴子は大宅君を熱愛していた。両親を責めて結婚をせき立てたのも鶴子だ。この人が大宅君の心を占めている絹川雪子の存在を、どんなに呪ったか、全く自分からそむき去った大宅君をどれ程恨んだか。想像に難くはない。そこでその二人に対して恐ろしい復讎を思い立ったのだ。恋の敵の雪子を殺し、その死骸に自分の着物を着せて、大宅君に殺人の嫌疑がかかる様に仕組んだのだ。一人は殺し、一人には殺人犯人として恐ろしい刑罰を与える。実に完全な復讎ではないか。しかもその手段の複雑巧妙を極めていたこと、流石は探偵小説や犯罪学の研究家だよ」
殿村はそこで、泣き伏ている鶴子に近づき、その肩に手を当てて話しかけた。
「鶴子さん、聞いていたでしょうね。僕の云ったことに何か間違いがありますか。ありますまい。僕は探偵小説家です。君のすばらしい思いつきがよく分りますよ。今朝絹川雪子の部屋で逢った時は、君の巧な変装にだまされて、つい気がつかなんだけれど、君と分れてから、僕はハッと思い出したのです。S村でたった一度話しをしたことのある山北鶴子の面影を、その不恰好な洋髪や、厚化粧の白粉の下から、ハッキリ思い浮べることが出来たのです」
鶴子は最早や観念したものか、泣きじゃくりをしながら、殿村の言葉をじっと聞いている。その様子が、殿村の推察が少しも間違っていないことを、語っている様に見えた。
「すると、鶴子は絹川雪子を殺して置いて、その殺した女に化けていたのだね」
国枝氏が驚愕の表情をおし殺す様にして口をはさんだ。
「そうだよ。そうする必要があったのだ」殿村がすぐ引取って答える。「折角雪子の死骸の顔を傷けて鶴子と見せかけても、当の雪子が行方不明になったのでは、疑いを受ける元だ。そればかりではなく、鶴子が殺された体を装う為には、鶴子こそ行方をくらまさなければならぬ。そこで、鶴子が一時雪子に化けてしまえば、この二つの難題を同時に解決することが出来るじゃないか。その上、雪子に化けて、大宅君のアリバイを否定し、いや応なしに罪に陥してしまう必要もあったのだからね。実にすばらしい思いつきだよ」
成程、成程、雪子が恋人である大宅のアリバイを否定するのは変だと思ったが、それで辻褄が合う訳だ。