二十五
怪しげな男は、老人の様に背をかがめて小さな懐中電燈をたよりに、何を探すのか叢を歩き廻っていました。電燈の位置によって、彼は真っ黒な影法師になったり、白っぽい幽霊に見えたりします。そして、ふと電燈を持ち換る時などには、あたりの木の枝が、不気味な生きものの様に、ゆらめき、時としては、私自身が燈光の直射にあって、思わず樹幹に身を隠すこともありました。
しかし、何をいうにも、豆の様な懐中電燈の光で、しかも彼自身それをふりかざしているのですから、その姿を見極めることは、非常に困難でありました。私は絶対安全の地位を選んで、丁度敵に近づいた兵士達が、地物から地物へと、身を隠して行く様に、木の幹を縫って、少しずつ少しずつ進みました。
この夜ふけに、森の中で探し物というのも変ですし、それが一向この辺で見かけた事のない都会風な男であるのも合点が行きません。私は当然、先夜のあやしい男、河野が追跡して見失った男を思い浮べました。あれとこれとが同一人物ではないかと考えたのです。
しかし、どうしてもその顔形を見極めることが出来ません。殆ど一間ばかりの所まで近づいていながら、暗の中のことですから、もどかしくも、それが叶わないのです。その晩は、ひどい風で、森全体がざわめいていましたので、少し位物音を立てても聞える気づかいはなく、そのためか相手は少しも私を悟らず、探し物に夢中になっています。
永い時間でした。右往左往する懐中電燈の光をたよりに、私は根気よく男の行動を見守っていました。すると、いくら探しても目的の品物が見つからぬらしく、男はついにあきらめて、背を伸すと、いきなり懐中電燈を消して、ガサガサとどこかへ立去る気勢です。見失ってはならぬと、私はすぐ様彼のあとをつけ始めました。つけるといっても、暗闇のことで、僅に草を踏む跫音によって相手の処在を察する外はなく、それが今いうひどい風の音だものですから、なかなかうまく聞き取れず、怖さは怖し、物慣れぬ私にはどうしていいか分らないのです。そして、まごまごしている内に、幽な跫音も聞えぬ様になり、私は遂に、その闇の中へ、たった一人でとり残されてしまいました。
ここまで漕ぎつけて、相手をとり逃しては、折角の苦心が水の泡です。まさか森の奥へと、逃げ込んだ訳ではないでしょう。彼奴は私に見られたことなど少しも気づいていないのですから、きっと街道筋へ出るに相違ありません。そこへ気がつくと、私はやにわに、湖畔亭の前を通っている村道に駈つけました。
山里のことですから、宿の外には燈火の洩れる家とてもなく、まっくらな街道には、人影もありません。遠くの方から、村の青年が吹き鳴しているのでしょう、下手な追分節の尺八が、それでも何とやら物悲しく、風の音にまじって聞えて来ます。
私はその往還に佇んで、暫く森の方を眺めていましたが、そうして離れて見れば、怪物の様な巨木達が、風のために波打っている有様は、一層物凄く、ますます私に里心を起させるばかりで、さっきの異様の人物は、いつまで待っても出て来る様子がありません。
十分もそうしていたでしょうか、もういよいよ駄目だとあきらめて、あきらめながら、でも何となく残り惜く、この間にもう一度河野の部屋を尋ねて、もし彼がいたら一緒に森の中を探して見ようと、大急ぎで、息せき切って宿の玄関へ駈込み、下駄を脱ぐのももどかしく、廊下を辷り彼の部屋に達するといきなりガラリと襖を開きました。