午後十時
こちらは、片桐さんのおうちの美術室の中です。
主人の片桐さんと、ふたりの書生が、美術室のまん中にいすをおいて、それに腰かけ、部屋の中をじろじろと見まわしていました。いうまでもなく、恐怖王にねらわれている国宝の仏像をまもるためです。
片桐さんの子どもの一郎君とミヨ子ちゃんは、おかあさんといっしょに茶の間で、まだおきていました。背広をきた警官が、そのそばについています。ふたりの子どもが、恐怖王にさらわれるようなことがあっては、たいへんだからです。
この背広の警官は、ふたりの制服の警官が、黄金仮面の一団を追って門の外へ出ていったことは、気づかないでいました。ですから、美術室の三人も、そのことはすこしも知らなかったのです。
それにしても、約束の十時のまえに、黄金仮面や部下のものが片桐さんのうちから逃げだしたのは、なぜでしょう。これには、いったい、どんなわけがあったのでしょうか。
美術室の中では、片桐さんとふたりの書生が、しんぼうづよく見はりをつづけていました。
もう十時が近づいてきました。シーンとしずまりかえった部屋の中に棚の置き時計の音だけが、カチカチ、カチカチ聞こえています。その時計の針が十時十分前をさしました。カチカチ、カチカチ、時間は休みなく、すすんでいきます。
五分前です。……三分前です。
三人はいいあわせたように、むこうの壁ぎわに立っている、おとなのからだほどの大きさの金色の仏像をみつめました。
国宝のぼさつ像です。奈良朝の傑作ということですが、まるで生きているように、よくできています。やさしくおだやかな顔、ふっくらしたからだ、それが金色に、こうごうしく、かがやいているのです。
恐怖王は、こんな大きな重い仏像を、どうしてぬすみだそうというのでしょう。もう時間は一分しかありません。いま十時一分前なのです。
カチカチ、カチカチ、時間の秒をきざむ音は、休みなくすすみます。
三十秒前……二十秒前……十秒前。
そして、チン、チン、チン、チン……と、置き時計が十時をうちました。
しかし、なにごともおこりません。恐怖王はとうとう、ぬすみだすことを、あきらめたのでしょうか。
三人は、まだ仏像を見つめたまま、ほっと安心のといきをもらしました。
すると、そのときです。
三人が見つめている仏像の、金色の顔が、ニヤッと笑ったではありませんか。
三人はゾーッとして、身動きもできなくなりました。たしかに、笑いました。千年もたった仏像が、生きているように笑ったのです。
しかし、そんなことがあるはずはありません。目のまよいでしょう。まぼろしでしょう。
でも三人がそろって、おなじまぼろしを見るなんてことがあるものでしょうか。
すると、またもや、おそろしいことが、おこりました。
金色の仏像が、ユラユラ動いたのです。
「ワハハハ……。」
ああ、仏像が、おそろしい声で笑いだしたではありませんか。からだをゆすって、笑っているのです。
「ワハハハハ……、どうだ、おどろいたか。きみたちは、おれが、なににでも、ばけられることをわすれていたね。どうだ、この変装は、みごとだろう。まさか、おれが仏像にばけるとは、気がつかなかっただろうな。ハハハハ……。」
そういいながら、台の上からおりて、のっしのっしと、こちらへ歩いてくるのです。金色の仏像が、歩きだしたのです。
こちらの三人は、あまりのおそろしさに、口をきく力もありません。いすにこしかけたまま、ぼんやりと仏像を見つめているばかりです。
「どうだ、恐怖王のおてなみが、わかったか。おれが仏像にばけているからには、ほんとうの仏像は、とっくにぬすみだされているのだ。
おれは、ゆうべ、こっそりしのびこんで、仏像をぬすみだし、庭のものおきの中にかくしておいた。そして今夜、おれの部下のものが庭にしのびこみ、ものおきの仏像をとりだして、はこびさってしまったのだ。
だが、約束は今夜の十時だから、それまでは、ここに仏像がなくてはならない。十時前に仏像が消えてしまったのでは、約束にそむくからな。おれは約束にそむくのが、だいきらいだ。
そこで、おれがこうして、仏像の身がわりになって、きみたちを、安心させておいたというわけだよ。
ハハハハ……、そして、十時ちょうどに正体をあらわしたのだから、やっぱり、約束をまもったことになるんだ。仏像はいまのいままで、ちゃんと、ここに立っていたのだからね、ハハハ……。」
怪人恐怖王は、もう、とくいのぜっちょうです。仏像にばけて、みんなをだましたことが、ゆかいでたまらないのです。
こちらの三人が、もし勇気をだして、恐怖王にとびかかっていけば、ひとりに三人ですから、とらえることができたかもしれません。しかし、片桐さんも、書生たちも、仏像がおばけのように動きだしたのに、びっくりしてしまって、とても、そんな元気はありません。
そのとき、またしても、ふしぎなことがおこりました。
恐怖王の仏像の笑い声が消えたかとおもうと、そのこだまのように、どこからか、べつの笑い声がひびいてきたのです。
「ワハハハハ……。」
それは、恐怖王の声より、ずっと小さくて、まるでこだまのようでしたが、こんな家の中でこだまがおこるはずはありません。
三人は、おどろいて、仏像の口をながめました。しかし、その口は、ぐっとむすばれていて、すこしも笑っていないではありませんか。
では、この笑い声は、いったい、どこから、ひびいてくるのでしょう。
「ワハハハハ……。」
笑い声は、にわかに大きくなってきました。どうやら、うしろから聞こえてくるようです。
三人は、うしろをふりむきました。
入口のドアがひらいて、そこにひとりの少年が笑いながら立っていました。少年探偵団長の小林君です。
「やっ、きさま……。」
仏像にばけた恐怖王が、おどろいて、小林君の顔を見つめました。
「ハハハ……、きみは、明智先生にばけて、ぼくたちを屋根裏にとじこめたつもりだろうが、とっくに、ぬけだしてしまったんだよ。そして、きみの計略のうらをかいてやったのさ。ハハハ……、わかるかい。
きみは、せっかく苦心をして、仏像にばけたけれども、それは、なんの役にもたたなかったんだよ。ハハハ……、わかるかい。」
小林少年は、さもゆかいそうに笑うのでした。
物おき小屋
「なんだと、なんの役にもたたなかったと?」
黄金仮面はびっくりしたように、立ちどまりました。小林少年の知恵のあることを、よく知っているので、なんだか、きみがわるくなってきたのです。
「ハハハ……、そうだよ。きみの部下が仏像をぬすみだして、左右からだくようにして、門の外へ出ていった。それをぼくたち少年探偵団がまちぶせしていて、追っかけたんだよ。そして、きみの部下が仏像をあき家のなかに、かくしたのを見つけ、それを、ちゃんと取りかえしてしまった。ふたりのおまわりさんが、いまに、ここにはこんでくるんだよ。
きみはせっかく仏像にばけて、みんなをごまかしていたが、ほんとうの仏像が取りかえされてしまったのだから、きみの変装はなんの役にもたたなかったのさ。わかったかい。ハハハ……。」
恐怖王はそれを聞くと、ほんとうに、おどろいてしまいました。あの仏像が、はやくも取りかえされたとは、ゆめにも知らなかったのです。仏像に変装したのは、まったく、むだぼねおりになってしまいました。
恐怖王は、しばらくだまって、つっ立っていましたが、しかし、このくらいのことで、まけてしまうやつではありません。
やっと、気をとりなおすと、ひとをばかにしたように笑いだしました。
「ワハハハ……、小林のチンピラは、なかなか、あじなことをやるねえ。だが、おれのほうには、いつも、おくの手が用意してあることを知っているだろうな。ハハハ……、チンピラが、いくら、いばったって、おれは、びくともするもんじゃないよ。」
小林君は、このどたんばになって、恐怖王がピストルでも出すのではないかと、からだをかたくしました。すると、あいては、はやくもそれをさっして、
「ハハハ……、おれは、とび道具のような、やばんなものは持っていないよ。血を見るのは大きらいだからな。それより、知恵だよ。おれの武器はおくそこの知れない知恵なのだ。」
「フフン、まけおしみをいってらあ。で、どんな知恵があるんだっ。」
小林君もまけてはいません。
「それはね、こうするんだっ。」
と、さけんだかと思うと、仏像にばけた恐怖王は、いきなり、小林君めがけて突進してきました。
そのいきおいが、あまりはげしくて、つきたおされそうなので、小林君は思わず、一方へ身をかわして、かたすかしをくわせました。
そして、いまにも、こちらへつかみかかってくるかと、身がまえていますと、恐怖王はかたすかしをくったまま、小林君のそばを通りぬけて、玄関のほうへ矢のように、かけだしていってしまったではありませんか。逃げたのです。
「みんな、来てください。あいつが逃げたから、つかまえてください……。」
小林君は、家じゅうにひびきわたるような声で、さけびながら、あとを追いました。
その声を聞きつけて、片桐さんとふたりの書生もかけだしてきました。
玄関をでると、まっくらな庭です。小林君はキョロキョロとあたりを見まわしましたが、金色の仏像はどこへかくれたのか、姿が見えません。
すると、そのとき、表門のほうから、ふたりの警官がほんものの仏像をかかえて、はいってきました。そのあとから少年探偵団員やチンピラ隊の少年たちがぞろぞろとついてくるのです。
「仏像にばけた恐怖王が逃げたのです。あいつの姿を見かけませんでしたか。」
そこへ出て来た片桐さんが、警官に声をかけました。
「いや、あやしいやつには、であいません。あいつが逃げたのは、いつごろのことですか。」
「たったいまです。門から出たとすれば、あなたがたと、すれちがったはずです。」
「それなら、門から逃げたのではありません。ぼくたちは、だれにもであわなかったのです。」
「それじゃあ、まだ庭の木の間に、かくれているのかな。」
「さがしてみましょう。みんなで、てわけをして、さがしてみましょう。」
片桐さん、書生ふたり、警官ふたり、少年探偵団員とチンピラ隊十七人のうちの七―八人(あとの八―九人はへいのまわりをとりかこんで、見はりをしているのです)。これだけの人数があれば、どこにかくれていても、さがしだせないはずはありません。それに少年たちも警官も、みんな懐中電灯を持っているのです。
それから、まっくらな、ひろい庭に懐中電灯の光が大きなホタルのように、あちこちと、木の間をとびちがい、どんなすみずみまでも、さがしまわるのでした。
ひとりの警官は、五人の少年をひきつれて、建物のよこを、うら口のほうへ、すすんでいきましたが、むこうのほうから、ひとりのおとなが歩いて来るので、もしや恐怖王ではないかと、サッと懐中電灯をむけました。しかし、それは、あやしいやつではなくて、いままで、うら口の番をしていた、もうひとりの警官でした。警官は三人来ていて、そのひとりは、ずっと、うら口にがんばっていたのです。
そこで、こちらの警官は仏像にばけた恐怖王が逃げたことをはなし、あやしいやつを見なかったかと、たずねましたが、なにも見なかったという答えでした。
さあ、わからなくなってきました。いったい、あいつは、どこへ、すがたをくらましたのでしょう。
そのとき、小林君が懐中電灯をふりながら、かけつけてきました。
「へいをのりこして、逃げたものも、ないそうです。少年探偵団員とチンピラ隊の残りのものがへいをとりかこんで、見はりをしていましたから、見のがすはずはありません。あいつは、きっと、まだ庭の中にいるのです。」
小林君は、そこで、いきなり、声をひそめて、ひとりのおまわりさんの耳に、なにごとか、ささやきました。
「うん、そうかもしれないね。いってみよう。」
おまわりさんはそういって、もうひとりのおまわりさんにも、なにか、ささやきました。
ここにいるのは、ふたりのおまわりさんと、五人の少年と小林君です。
小林君は、みんなのさきにたって、庭のむこうのほうへ歩いていきました。
おもやから、すこしはなれて、木のあいだに物おき小屋が立っています。そのそばまで来ると、小林君は、足音をしのばせながら、入口の戸に近寄って、耳をすまして中のようすを、うかがいました。
ひょっとしたら、恐怖王はこの物おき小屋のなかに、かくれているのではないかと、思ったのです。
すると、そのときです。
いきなり、物おき小屋の戸が、なかからガラッとひらきました。そして、ひとりのへんな男が、ヌーッと出てきたではありませんか。
少年たちは思わず逃げ腰になりましたが、よく見ると、それは、まったくべつの人間でした。
カーキ色のズボンにジャンパーをきた、顔じゅうに、ごましおひげのはえた、きたない男です。
「き、きみは、だれだっ。」
小林君がつよい声で、たずねました。
「ここのうちの庭番のじじいですよ。べつにあやしいものじゃありません。」
そういえば、片桐家には庭番のじいさんがいたはずです。
「いまごろ、物おき小屋なんかで、なにをしていたんだっ。」
警官のひとりが、たずねます。
「なあにね、昼間、ここへタバコをおきわすれたので、取りにきたのですよ。ほら、これですよ。」
じいさんは、そういって、手に持っていたタバコの「しんせい」を見せました。
そして、そのまま、ふりむきもしないで、どこかへ立ちさってしまいました。
じいさんが、なかへはいったからには、物おき小屋に、あやしいやつがかくれているはずはありません。
そこで、みんなは、もっとべつのところを、さがそうと、歩きかけましたが、そのとき小林君は、なにを考えたのか、「あっ。」といって立ちどまりました。