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帕诺拉马岛绮谭(十三)

时间: 2022-02-27    进入日语论坛
核心提示:十三 併しながら、あらゆる難関を切抜けて凡ての人々を緘黙かんもくせしめた所の、菰田家の巨万の富も、ただ一人、千代子の愛情
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十三


 併しながら、あらゆる難関を切抜けて凡ての人々を緘黙かんもくせしめた所の、菰田家の巨万の富も、ただ一人、千代子の愛情の前には、何の力をも持ちませんでした。仮令彼女の里方は廣介の常套じょうとう手段によって、懐柔かいじゅうせられたとしても、彼女自身ののない悲しみは、どう慰めようすべもないのでありました。
 彼女は、蘇生以来の、夫の気質の不思議な変り方を、この謎の様な事実を、解くすべもなくて、ただ告げる人もない悲しみを、じっとこらえている外はありませんでした。
 夫の暴挙によって、菰田家の財政が危険にひんしていることも、無論気がかりでありましたけれど、彼女にしては、そんな物質上の事柄よりは、ただもう、彼女から離れて了った夫の愛情を、どうすれば取戻すことが出来るか、何故なれば、あの出来事を境にして、それまではあれ程烈しかった夫の愛情が、突然、人の変った様にさめ切って了ったのであろう。と、それのみを、夜となく昼となく思い続けるのでありました。
「あの方が、私を御覧なさる目の中には、ぞっとする様な光が感じられる。けれど、あれは決して私をお憎しみになっている目ではない。それどころか、私はあの目の中に、これまではついぞ見なかった、初恋の様に純粋な愛情をさえ感じることが出来るのだ。だのに、それとは全くあべこべな、私に対するあのつれない仕向けは、一体全体どうしたというのだろう。それは、あんな恐しい出来事があったのだから、気質にしろ、体質にしろ、以前と違って了ったとて、少しも怪しむ所はないのだけれど、此頃の様に、私の顔さえ見れば、まるで恐しい者が近づいて来でもした様に、逃げよう逃げようとなさるのは、全く不思議に思わないではいられぬ。そんなに私をお嫌いなら、一思いに離別なすって下さればよいものを、そうはなさらないで、荒い言葉さえおかけなさらず、どんなにお隠し遊ばしても、目丈けは、いつでも、私の方へ飛びついて来る様に、不思議な執着を見せていらっしゃるのだもの、ああ、私はどうすればいいのだろう」
 廣介の立場もさることながら、彼女の立場も亦、実に異様なものと云わねばなりませんでした。それに、廣介の方には、事業という大きな慰藉いしゃがあって、毎日多くの時間をその方に没頭していればよいのでしたが、千代子にはそんなものはなくて、却って、里方から、夫の行蹟ぎょうせきについて、なんのかのと妻としての彼女の無力を責めて来る、それ丈けでも十分うんざりさせられる上に、彼女を慰めて呉れるものと云っては、里方から伴って来た年よったばあやの外には、夫の事業も、夫自身さえも、まるで彼女とは没交渉で、その淋しさ、やるせなさは、何に比べるものもないのでした。
 廣介には、云うまでもなく、この千代子の悲しみが、分り過ぎる程分っていました。多くは、沖の島の事務所に寝泊りをするのですが、時たま邸に帰っても、妙にへだてを作って、打ちとけて話合うでもなく、夜なども、殊更ことさら部屋を別にしてやすむ様な有様でした。すると、大抵の夜は隣の部屋から、千代子の絶え入る様な忍び泣きの気勢けはいがして、でも、それを慰める言葉もなく、彼も亦、泣き出したい気持になるのがお極りなのです。
 仮令陰謀の暴露を恐れたからとは云え、この世にも不自然な状態が、やがて一年近くも続いたのは、誠に不思議と云わねばなりません。が、この一年が、彼等にとっての最大限でありました。やがて、ふとしたきっかけから、彼等の間に、不幸なる破綻の日がやって来たのです。
 その日は、沖の島の工事が、殆ど完成して、土木、造園の方の仕事が一段落をつげたというので、重だった関係者が菰田邸に集り、一寸した酒宴をもよおしたのですが、廣介は、愈々彼の望みを達する日が近づいたというので、有頂天にはしゃぎ廻り、若い技術者達もそれに調子を合せて騒いだものですから、お開きになったのはもう十二時を過ぎていました。町の芸者や半玉はんぎょくなども数名座にはべったのですが、彼女等もそれぞれ引取って了い、客は菰田邸に泊るものもあれば、それから又どこかへ姿を隠すものもあり、座敷は引汐ひきしおの跡の様で、杯盤はいばんの乱れた中に一人酔いつぶれていたのが廣介、そして、それを介抱したのが彼の妻の千代子だったのです。
 その翌朝、意外にも、七時頃にもう起きでた廣介は、ある甘美なる追憶と、併し名状すべからざる悔恨かいこんとに、胸をとどろかせながら、幾度も躊躇したのち、跫音を盗む様にして千代子の居間へ入ったのでした。そして、そこに、青ざめて身動きもせず坐ったまま、脣をかんで、じっとくうを見つめている、まるで人が違ったかと思われる、千代子の姿を発見したのです。
「千代、どうしたのだ」
 彼は内心では、殆ど絶望しながら、表面は、さあらぬていで、こう言葉をかけました。併し、半ば彼が予期していた通り、彼女は相変らず空を見つめたまま、返事をしようともせぬのです。
「千代……」
 彼は再び、呼びかけようとして、ふと口をつぐみました。千代子のる様な視線にぶつかったからです。彼は、その目を見ただけで、もう何もかも分りました。果して、彼の身体には、亡き源三郎と違った、何かの特徴があったのです。それを千代子は昨夜発見したのです。
 ある瞬間彼女がハッと彼から身を引いて、身体を堅くしたまま、死んだ様に身動きをしなくなったのを、彼はおぼろげに記憶していました。その時彼女はあることを悟ったのです。そして、今朝からも、彼女はあの様に青ざめて、その恐しい疑惑を段々ハッキリと意識していたのです。彼は最初から、彼女をどんなに警戒していたでしょう。一年の長い月日、燃ゆる思いをじっとみ殺して、辛抱しつづけていたのは、皆この様な破綻を避けたいばかりではなかったのですか。それが、たった一夜の油断から、とうとう取返しのつかぬ失策を仕出かして了うとは。もう駄目です。彼女の疑惑はこの先、徐々に深まろうとも決して解けることはないでしょう。それを彼女が彼女一人の胸に秘めていて呉れるなら、さして恐しいこともないのですが、どうして彼女が、謂わば真実ほんとうの夫のかたき、菰田家の横領者を、このままに見逃して置くものですか。やがては、このことが其筋そのすじの耳に入るでしょう。そして、腕利きの探偵によって、それからそれへと調べの手を伸ばされたなら、いつかは真相が暴露するのは、極り切ったことなのです。
「いくら酒に酔っていたからと云って、お前は何という取返しのつかぬことをして了ったのだ。この処置をどうつけようというのだ」
 廣介はくやんでも悔んでも悔み足りない思いでした。
 そうして、彼等夫妻は、千代子の部屋に相対したまま、双方とも一ことも口を利かず、長い間にらみ合っていましたが、遂に千代子は恐れに耐えぬものの如く、
「済みませんが、わたくし、ひどく気分が悪うございます。どうか、このまま一人ぼっちにして置いて下さいまし」
 やっとこれ丈けのことを云うと、いきなりその場へ突俯つっぷして了うのでした。

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